若者の成長には、目を見張るものがある。

アマ野球担当から日本ハム担当に変わったばかりの昨年12月、千葉・鎌ケ谷で初めて「日本ハム根本」と話す機会を得られた。

そこで、ちょっとした昔話になった。2歳のころから壁当てをしていたという、地元北海道・白老町虎杖浜(こじょうはま)の祖母宅の隣にある、海鮮加工場のブロック塀の話題になった。「あの壁、どうなった」という流れになった。

「メッチャはげて塗装を塗られてしまいました。ほぼほぼ、えぐれてしまっていたので」

狙いを定めていた思い出の「染み」はなくなってしまったという。その話の延長で、ある“やらかし”を暴露してくれた。「ガラスも1回割ったんです。ガラスの間にあるブロックのところを狙ったりしていたので」。ガラスとガラスの間の、わずか数10センチの隙間に軟式ボールを投げ続けて、コントロールを磨いていたという。

野球少年とはみな、こういうものなのだろうか。ガラスを割るのはいけないことだが、その際どい「遊び」に驚いた。と同時に、中学、高校時代は、聞いたことには真摯(しんし)にこたえてくれるが、決して自分からエピソードを話してくるようなタイプではなかったので「なんだか、大人になったなあ」と勝手に感心していた。

根本に初めて会ったのは、5年前の18年3月のこと。白老白翔中の3年生だった。前年の全国中学決勝で完全試合を達成し優勝。U-15日本代表にも選ばれた伸びしろたっぷりの道産子アスリートの1人として紹介するために、現在は民族共生象徴空間「ウポポイ」で有名な北海道・白老町を訪れた。

168センチ、70キロ。体もそれほど大きくなく、どこにでもいそうな野球少年だった。卒業後は、隣の苫小牧市内の高校に進学することが決まっていた。

夏の甲子園連覇も遂げている同市内にある強豪、駒大苫小牧ではなく、甲子園経験ゼロの苫小牧中央を選んだ。「北海道出身の選手が中心になって甲子園を目指したかった」。ボソボソ話す子だったが、しっかり目を見て話す。強い意志を感じる選手だった。

高校では1年夏にデビューし、2年秋には最速146キロをマーク。高校3年の最後の夏は、コロナ禍で甲子園は中止となり夢は果たせなかったが、着実に成長し、3年時はNPBスカウト注目の投手として、何回か取材した。

20年10月26日、ドラフト当日は、アマ野球担当として、根本のいる苫小牧中央で、運命の瞬間を一緒に味わった。

事前情報では(指名)中位ぐらいかも、という話も出ていたので、早い段階から心の準備をしていたが、なかなか呼ばれなかった。

同年の北海道関連のドラフト候補は、苫小牧駒大の伊藤大海投手(日本ハム1位)、駒大の若林楽人外野手(西武4位)、星槎道都大の河村説人投手(ロッテ4位)と、有望選手が多く、同じ道産子選手が着々と名前を呼ばれていた。

もしや…という不安も、よぎった。

開始から約2時間後の午後6時50分ごろ、日本ハムが5位指名。息子が入試に受かったときのような、はちきれんばかりの喜びをぐっとこらえ、淡々と取材した記憶が、よみがえる。

それから2年とちょっと。以降もアマ野球担当だったため、対面するのはドラフト一夜明けで会って以来だった。ぼそぼそ話していた細身の「ネモヤン(心の中でそう呼んでいました、すみません)」は、現在173センチ、77キロ。胸板厚く、太ももは太くなり、プロの体になっていた。

昨季は初勝利を挙げ、高卒2年目で3勝と急成長。すっかり取材にも慣れ、おっさん記者との会話にも、フランクに対応してくれるようになっていた。

新球場開幕戦翌日の3月31日に、ようやく20歳になる。昨年4月の民法改正で、成人年齢が18歳に引き下げられ、いつの間にか成人になっていたように、立ち振る舞いも、フィジカルの面も、法律同様、立派な“大人”になっていた。

そして、着実な成果は、後輩にも刺激を与えていた。年明けには同じ左腕で、21年ドラフト7位の松浦慶斗投手(19)と鎌ケ谷で話をする中で、ネモヤンの話題が出た。

プロ2年目の目標を尋ねると「根本さんが高卒2年目で結果を出せるのを証明した。いい目標になった。根本さんを超えたい。先発での勝利数じゃなくても中継ぎで登板数を増やしたりしたい」。昨季の3勝は、自身とさらに下の世代への“糧”にも、なっていた。

球団OBの大谷やダルビッシュら、日本を代表する投手のように身長が高く圧倒的な存在感を放つタイプではないが、大きく伸びる可能性を、十分、秘めている投手だと思っている。大渕GM補佐兼スカウト部長は「やるべきことが分かっている。自分の中で整理できているので、あとはやるだけっていう感じの選手。高卒2年目であそこまで頭の中を整理してやることが分かっている選手はなかなかいない」と言う。目標を見定め、それに適した手段を考え、決まったら脇目も振らず地道に取り組める強い信念が、絶えぬ成長のベースになっているのだろう。

敬愛する同じ左腕のオリックス宮城も、初勝利を挙げた次の21年に球宴選出、2ケタ勝利、新人王と一気にブレークした。ネモヤンは3年目の目標に「先発ローテに入ること」と挙げたが、中学からの堅実なステップアップを見ていると、おそらく手堅くクリアするのではないだろうか。

初めて取材した18年、10代女子の間で「エモい」が流行。あれから5年。23年の北海道は、新球場元年という大きな節目を迎える。緩急と鋭い変化球を生かした巧みな投球術を武器に、空振りではなく打者を固まらせて、見逃し三振を量産することを「ネモい」と呼ぶ。エスコンフィールド北海道から、そんな流行語が発信されるようなインパクトある活躍を、ひそかに期待している。【日本ハム担当=永野高輔】