いつの時代も都心を循環している山手線。当然、野球とのつながりも深い。ぐるり回ってルポする。

 
 

東京出身ではない人ほど、その存在が当たり前すぎる山手線には思い出があるのかも知れない。

千葉・柏出身の早大・小宮山悟監督(54)は「俺にとって山手線といえば、代々木と原宿だね」と30年以上前の浪人時代を思い出した。

1浪目。代々木にある代々木ゼミナールに通った。柏駅から常磐線に乗り、日暮里駅で内回りへ。先頭寄りと決めていた。代々木駅で下車した時、予備校に近いからだ。駅前の喫茶店「バロック」や吉野家によく通った。「3階まで全部、吉野家。すごかったよ」。若い腹を満たして授業を受けた。終われば真っすぐ帰宅…しなかった。「高田馬場で途中下車。よく早稲田まで行った」。目指す門を見て、受験勉強のやる気を高めていた。

サクラは咲かなかった。2浪目、代ゼミ生活も堂に入る。授業の関係で原宿校に変えた。柏から千代田線で通ったが「1限目はいらない」と、だいたいは駅前の喫茶店「エブリデイ」でモーニング。天気が良ければ、ふらりと明治神宮へ。ひなたぼっこしていると、出前帰りか、そば屋のおじさんとよく出くわした。デッサン帳を取り出し、写生している。「うまいですね」と声をかけ、仲良くなった。

選手交代を告げベンチへ戻る早大の小宮山悟監督(19年11月2日撮影)
選手交代を告げベンチへ戻る早大の小宮山悟監督(19年11月2日撮影)

嫌な思い出もある。原宿駅の竹下口、切符売り場で目にした。柏駅までの料金、当時は確か400円ほどと記憶しているが、その値段のボタンにマジックで「田舎者」と書いてあった。「ショックだったなぁ。誰が書いたのやら。多分、東京の人間だろうね」。

屈辱をバネに勉強したかは分からないが、途中下車だけは変わらなかった。今度は千代田線沿線だ。「定期だったから、下車し放題。気分転換と称し、今日は乃木坂、明日は赤坂って具合にね。周辺を探索したおかげで、沿線の東京の有名なところは、だいたい詳しくなった。上野動物園もよく行ったなあ」。勉強のかいあって、早大教育学部に合格した。

今は、山手線の中にある神宮球場で天皇杯をかけて戦っている。山手線に乗る機会は減っても、今でも緑の車体が、あの2年間を思い出させてくれる。

「貴重な時間だった。世の中、2浪した人はたくさんいるけど、時間に追われた人にとっては、いい思い出じゃないだろう。俺は親元で浪人しながら腹をくくった。ダメなら自己責任。そういう意味でだらだら過ごしたことが、今に役立っている」

親との約束で2浪までと決めていた。1浪までは早大しか受けなかったが、2浪時は明大も受け合格していた。もし、明大に行っていたら…。「甲子園メンバーがたくさん。野球はやってなかったかも」。後の名投手は、山手線や千代田線に乗った2年間があったから生まれた。【古川真弥】