現役を引退し、第2の人生へ踏み出す野球人を特集する「さよならプロ野球」を、今年もお届けする。第1回はヤクルトの中沢雅人投手(35)だ。

15年4月、ベンチから戦況を見つめる左から古野正人、中沢雅人
15年4月、ベンチから戦況を見つめる左から古野正人、中沢雅人

勝負の世界を離れた中沢の笑顔には、柔らかさが増していた。「結局、勝負事は向いていなかったのかなってなりますよね(笑い)。やっぱりガンガン行けるような人の方がプロ野球には向いているような気がする。(自分は)向いていないのかなって、実は思ってたんです。本当に、チームに恵まれました」。

10月下旬、球団幹部と向き合った。来季の構想外を告げられた次の瞬間、「辞めます」と答えた。家族にも、恩師にも、相談はしなかった。実は、パ・リーグの球団から「補強リストに名前が挙がっている」という声もあったが、迷いはなかった。中継ぎに転向した14年頃からずっと、開幕前に決意を固めていた。「だめだったらしょうがない」。今年、1試合、1イニング、1球が勝負だと分かって腕を振っていた。

20年ヤクルト退団選手(※は育成)
20年ヤクルト退団選手(※は育成)

今後は、球団にスタッフとして残る見込みだ。「サポートするのが嫌なタイプじゃないんです。とりあえず最初の2年くらいは死ぬ気でやったろうかな、と思ってるんですよ」と楽しそう。印象に残る試合に挙げたのは、自分ではなくチームメートの復帰後初白星だった。18年8月29日阪神戦(甲子園)。「兄弟みたいな感じ」という古野(現阪神打撃投手)がケガを克服し、支配下に戻って先発した2試合目。5回2失点で勝利投手の権利を得て降板した。2番手中沢は1回を3者凡退、2奪三振に抑えた。「どうしても勝ってほしかった。古野に絶対勝ちをつけたまま後ろにつながないと、大変なことになるぞと」。仲間の1161日ぶりの勝利が、うれしい思い出となった。

ヤクルト中沢の年度別成績
ヤクルト中沢の年度別成績

ヤクルトで過ごした11年間の感謝の気持ちを、今度は返す番になる。「今までサポートをしてきてもらった身なので、逆にしっかりサポートをしたい。自分の考えをしっかり持って準備をして、勉強します」。ユニホーム姿ではないが、チームを支え続けることに変わりはない。【保坂恭子】