2011年3月11日に発生した東日本大震災から、10年がたつ。未曽有の災害は、人々の生活に大きな影響を与えた。震災に関わった野球関係者たちは、この10年をどんな思いで、どう生きてきたのか。「私の10年」第1回は、ヤクルト、楽天で活躍し、現在は独立リーグのBC・埼玉で現役を続ける由規投手(31)。仙台出身の右腕は、地元への思いを背負って腕を振り続ける。

11年7月、オールスター第3戦で全パの中田に投げ込む全セの佐藤由規
11年7月、オールスター第3戦で全パの中田に投げ込む全セの佐藤由規

まもなく、東日本大震災から10年を迎える。「もう10年」「まだ10年」。いろいろな表現が巡る。今年からBC・埼玉でプレーする由規は、ゆっくり口を開いた。「毎年3月11日がくる時に思うことは、何年たってもまだ10年、もう10年という感覚がないんですよ。よく『あれから、もう10年』とか『まだ10年』という言い方をするけど、被災した方にとってはまだ、もうで片付けられる問題ではないといつも思う。大切な方を亡くされた方からしたら、そういう感覚だと思うんです」。

震災について目にしたくない、思い出したくない人もいるはず。そういう思いと、時間の経過とともに風化することへの怖さ、両方を抱えている。自身の家族も、仙台市内で被災した。「もう10年だと片付けられることが、僕にとってはちょっと違うかなと。それが今、僕の中で伝えたいことで、キーワードになっています」と話した。

プロ4年目の11年は、野球選手としての転機だった。秋に右肩を負傷。相手と戦う前に、自分と、痛みとの戦いの日々。「震災から1、2年後くらいかな。うまくいかない、何をしても全然ダメ、気持ちも落ち込んでいました。このままで投げられるようになるのかな、と。ネガティブなことばっかり考えている時期でした」。13年4月、右肩の関節唇と腱板(けんばん)のクリーニング手術に踏み切った。4年間、1軍から遠ざかった。「思うような結果がついてこなくて、もがき苦しんだ」と振り返る。

そんな時も、常に使命感を持っていた。震災の直後は「野球に100%集中しきれていないところは実際にあった。今だから思うのは、仕事と思って野球をしていなかった時期。無我夢中でとにかく結果を出して、活躍するという感覚の野球だった」。選手としての責任を感じたきっかけは11年7月、ファン投票1位で選出された復興支援として被災地で開催された球宴だった。仙台育英時代にバッテリーを組み、震災で命を落とした1学年上の斎藤泉さんの両親を招待した。「大変な状態でも、見に来てくださった。もう中途半端な気持ちでやっちゃいけないと思ったんですよね。僕はこれを仕事にしていて、励みにしてくれている人がいるから、その人のためにやらなきゃと」。その思い出は、今でも心の中の灯火だ。

06年8月、全国高校野球選手権の日大山形戦でマウンドの仙台育英・佐藤由規(右)を笑顔で励ます斎藤泉さん(左)
06年8月、全国高校野球選手権の日大山形戦でマウンドの仙台育英・佐藤由規(右)を笑顔で励ます斎藤泉さん(左)

ヤクルト時代、楽天生命パークで投げる時にはワクワクした。楽天に入団した際には「ここから、やってやるぞ」と気合が入った。19年9月、支配下契約となり、ホームのマウンドに立った。スタンドから降り注ぐ声援は、温かかった。地元愛を再確認した。活躍することで「由規は仙台出身なんだよ」と話題になる。「自慢げに話してくれる人がいればいるほど、僕はすごくうれしい。地元の選手はたくさんいるわけでもないので、人一倍、使命感があるかなと。発言力、影響力も少なからずあると思うので」。

この10年を振り返ると震災、ケガ、手術、2度の戦力外。つらい言葉が並ぶ。今回、現役続行を決断したのは「自分が野球が好きだというのがあるんですけど、好きだけでやっていける世界ではない。応援メッセージが届いて、それがモチベーションですよね。だからこそ続けられます」。亡くなった斎藤さんの両親にも、BC・埼玉で現役を続けることを報告した。電話の向こうで喜んでくれて、うれしかった。「励みにしてくれているのを間近で聞くと、僕自身もまだまだ野球を続けたいと思う。BCリーグも見せられたらなって思いますし、NPBに戻って活躍する姿を見せたいというのもある」。もうすぐ、3月11日がやってくる。これからも被災地に、地元に、寄り添い続ける。【保坂恭子】

【由規の10年】

◆11年3月11日 横浜スタジアムのベンチ裏でケアを受けている際に地震発生。球場の外に逃げ、目の前で車の衝突事故や地割れが発生。仙台市内の実家には、数時間後に球場記者席の日刊スポーツの固定電話で連絡がついた。

◆同年4月27日 対巨人(静岡)で2勝目。試合前に、震災直後から行方不明になっていた仙台育英のチームメート斎藤泉さんの遺体が発見されたと連絡を受ける。後日、この日のウイニングボールに「一生最高バッテリー」と書き込み、石巻市の実家へ。

◆同年7月 ファン投票1位で球宴に選出。コボスタ宮城で先発。

◆同年9月 右肩を負傷し離脱。

◆13年4月 右肩の関節唇と腱板(けんばん)のクリーニング手術。

◆15年11月 育成契約へ移行。

◆16年7月 支配下契約。

◆18年10月 戦力外通告。現役続行を希望。

◆同年11月 楽天と育成契約を結ぶ。

◆19年7月 支配下契約。

◆20年11月 戦力外通告。現役続行を希望し12球団トライアウトを受ける。

◆21年1月 BC・埼玉と契約。背番号「18」で、NPB復帰を目標に掲げプレー。

1月28日、BC・埼玉の入団会見で笑顔を見せる前楽天の佐藤由規
1月28日、BC・埼玉の入団会見で笑顔を見せる前楽天の佐藤由規