「大学からのプロ入りは入学時の目標でした。上位へのこだわりもありました」。だが、関大・定本拓真投手(22)は最終学年を迎える頃には、早々と社会人野球に進路を決めていた。

投球する関大・定本
投球する関大・定本

三重高3年春に甲子園ベスト4。大阪桐蔭との激闘で知名度を上げ、鳴り物入りで進んだ関大でも1年時から登板。順調な滑り出しだったが、2年春、新型コロナのまん延で練習がままならなくなった。プロに売り込む機会も、満足な練習環境も限られた。

危機感から「自分で何かやらないといけない」と考えたのがツイッターだった。新しいトレーニング方法を思いつけば動画をアップし、その効果を詳細にツイートした。反響は予想以上。とくにトレーナーからの反応が多かった。SNSにとどまらず、実際に会って意見交換やトレーニングも行ってきた。

コロナ禍を逆手にとった定本の見識は高まり、投球も進化した。3年秋にはエースとして優勝に導いた。チームにも好影響があった。1学年上のオリックス野口ら同僚のトレーニングメニューを組むこともある。仲間からは「インフルエンサー」と冗談交じりに言われるほどになった。「自分のために始めたことですけどね」と笑った。

自分自身と向き合う機会を得られたのはツイッターのおかげだと言う。まだまだ成長できる確信が持てたことで、プロ入りを急がなくてもいいと思うようになった。社会人野球でプレーしていた父親にも相談し「2年後でも遅くないかな」と心を決めた。

「2年後」への自信の理由はまだある。ジャイロボールだ。右手の中指が、人さし指より2センチほど長く、直球のリリースでもボールがわずかにカットする。ラプソードなどの計測機器にもジャイロ成分が出る。「重いボールだと思います。左打者の内角への直球が決まると、そうは打たれない。大学で打たれた記憶がない。しっかり磨いていきたい。ジャイロのことは(メディアに)言う機会がなかったので、あまり知られていないと思います」。

高校、大学と世代の先頭を走ってきた。「しんどいことは嫌いじゃない。キツいからやらないという考えはない。自分がもっと成長できるなら、何もしんどくないです」。次のステージでも、ストイックに、しなやかに階段をかけ上がっていくのだろう。【柏原誠】

◆定本拓真(さだもと・たくま)2000年(平12)8月5日生まれ、大阪市出身。八尾ボーイズから三重高。高3春の甲子園でエースとして4強入り。優勝した大阪桐蔭に延長12回の末に敗れた。関大では1年秋から登板。3年秋には最優秀投手に輝き、リーグ優勝に貢献。182センチ、91キロ。右投げ左打ち。