「ビシッ!」。2月中旬、JFE東日本のブルペンには心地よい音が響いた。最速150キロ右腕・蒔田稔投手(22=明大)は、直球にスライダー、カーブを交え、約40球を投げ込んだ。「まだ本調子じゃない。もう少し投げれば大学時代のいい時に戻せそう」。気持ち良さそうに汗を拭った。

東京6大学では通算32試合に登板し11勝4敗、防御率2・43をマーク。昨年は大学日本代表にも選ばれ、秋は6試合で3勝0敗、防御率0・68で最優秀防御率を獲得。圧倒的な成績で、本人ばかりか周囲もドラフト指名があるものと疑わなかった。しかし、心待ちにしたドラフトは、一転して、屈辱の日に変わった。

ドラフト当日。ロッテから上田希由翔内野手(22)が1位で指名された。続いて一緒に投げ合ってきた石原勇輝投手(22)がヤクルト3位、村田賢一投手(22)がソフトバンク4位。集まったチームメートから「まだあるよ」「うん、あるある」。なかなか名前が呼ばれない蒔田への慰めの言葉が、むなしかった。「上位指名の選手はみんなジャパンで一緒だった。こういうヤツが上で指名されるんだなぁと思いながら、下位になるにつれ、この選手よりも自分の方がゲームメークできるのに。自分の方がもっと投げられるのに…と、複雑な思いでした」。テレビ画面を見ながら「自分と何が違うんだろう…」と問い続けているうちに、無情にも全球団が選択終了となった。

何がダメだったのか-。今でも考えている。「冷静に見ると、上位は総合力がいい選手。下位は、飛び抜けた特徴がある選手が多かった。自分にはそれがなかったんです」。昨年は球速のアベレージが140キロ台前半にとどまり、春は成績を残せなかった。「球速がなくとも、変化球はある程度投げられる。でも、これという特徴的なボールがなかった。今の自分でプロで活躍できるイメージは湧きませんでした」。

ドラフトの機運が高まり、自分を見失っていたのかもしれない。「今は、逆に指名されなくて、ありがたいというか。今以上に強くなるチャンスをいただいた。社会人で2、3年で行けばいい。それが無理なら野球を辞めてもいいかな。それくらいの気持ちで挑戦しようと思うんです」。生半可な気持ちではない。人生をかけた戦いとして、社会人野球に挑む。

ドラフト翌日。友人に誘われ、高尾山に登山した。「登山は初めて。キツいから嫌だった」と言うが、友人の心遣いがうれしかった。高尾山さる園にも立ち寄り、少しばかり野球から離れ、いつもの明るい自分に戻っていく。

自分らしく、もう1度、頑張ろう。

気持ちを新たにした。

今年1月。入寮後、1度はフォーム改造に取りかかったが「これまでのフォームでも、体の柔軟性、筋力をつければ、もっと良くなるかも」と見直し、順調な仕上がりを見せている。「社会人野球をしっかりやりたい。黒獅子旗(都市対抗優勝)をとって橋戸賞(最優秀選手賞)をとります!」。もう1度、一から野球に取り組む。その視線の先には、来年のドラフトが見えている。【保坂淑子】

◆蒔田稔(まきた・みのる)2001年(平13)4月17日、熊本県八代市生まれ。九州学院(熊本)3年時はエースで県大会決勝に進出したが敗れ、甲子園には届かなかった。明大では2年秋にリーグデビュー。3年春には4勝を挙げベストナイン、4年秋は最優秀防御率のタイトルを獲得。特技は水泳。好きな言葉は「肥後もっこす」。178センチ、81キロ。右投げ右打ち。血液型A。

23年10月、法大戦で力投する明大・蒔田
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