10月5日から10日まで愛媛国体取材で松山市に出張した。大会は夏の甲子園準優勝の広陵(広島)が初優勝を果たした。

【5日】

 都内の自宅から新横浜へ。のぞみに乗って福山(広島)を目指した。そう、今回は飛行機を使わず陸路での移動。福山から「キララエクスプレス」という高速バスに乗り換え松山へ。初めてのしまなみ海道。バスは空いていて一番前の特等席に座れた。瀬戸内海に浮かぶ島々を橋でつないで本州から四国へ。海や島を眺めながら約3時間。松山に到着した。翌日の開幕に備える。

【6日】

 天気は雨。午前6時半にホテルを出発して坊っちゃんスタジアムへ。しかし激しい雨で中止。東海大菅生、花咲徳栄、大阪桐蔭などが室内練習場で練習するということで取材。

 普段、取材する機会が少ない大阪桐蔭に興味があったので練習を見学。お目当ては入学前から「スーパー中学生」として有名だった根尾昂(ねお・あきら)投手(2年)。この日はブルペンには入らなかった。練習の最後に各選手が体操を行っていたのだが、1人、腕立て伏せをしている選手が目についた。背番号を見ると「10」。そう根尾選手だった。腕立てといっても手は肩のラインではなく胸、いや腹のあたり。かなり負荷がかかると思うのだが、高速で苦もなく腕立て伏せを繰り返した。まるで体操選手のような見事な動きに思わず見とれてしまった。

 その後、夏の埼玉大会、甲子園大会で担当した花咲徳栄を取材。岩井監督と目が合うと「えっ、こんなとこまで来るの?」と驚かれた。3年生の進路などを取材。2番打者として大活躍した千丸主将と1番を打った太刀岡外野手は同じ大学に進学するという。大学でも1、2番コンビを組んで活躍してもらいたい。

 【7日】

 天候が回復し1日遅れで開幕。4試合を取材。第4試合の花咲徳栄-仙台育英はナイターに。取材を終え原稿を大急ぎで書いて、坊っちゃん球場最寄りの「市坪駅」へ。電車は1時間に1本ほど。乗り遅れると大変なことになる。球場のほぼ目の前にあるのだが無人駅。ホームにある券売機で松山まで210円の切符を買う。すると電車が到着。何と1両編成だった。5分ほどで松山に到着。東北総局のT記者、大阪本社のI記者と繁華街の居酒屋さんで食事。2軒目はうどん屋さんへ。うどんを食べて代金を払おうという時になって財布がないことに気付いた。1軒目のお店で落とした可能性が高い。急いでその店に向かったがすでに閉店。電話をかけてもつながらず、仕方なくホテルへ。T記者がなぜか4000円を貸してくれた。

 【8日】

 坊っちゃんスタジアムへ。財布をなくしたことで頭がいっぱい。目の前の試合がまったく頭に入らない。財布をなくしたと思われるお店は夕方からの営業とあって昼すぎまで電話がつながらない。午後1時、ようやくお店と連絡が取れた。「昨晩食事した者ですが財布の忘れ物はなかったでしょうか?」。運命の一瞬だ。しかし店員の返事は「落とし物はありませんでした」という絶望的なものだった。目の前が真っ暗になった。一応こちらの連絡先を伝えたがまさにぼう然。財布の中にはわずかばかりの現金と会社名義のクレジットカード、キャッシュカード、免許証、保険証など全て入っていた。松山東警察署に電話して落とし物を調べてもらったが無し。電話でも大丈夫ということで紛失届を提出。親切なおまわりさんから「カードを止めた方がいいですよ」と言アドバイスされ、会社に電話。カードをストップしてもらった。傷心の私をみかねた東北のT記者が球場外にある屋台で売っていたお好み焼きをおごってくれた(今となっては忘れられない味になりました)。

 そんなこんなでバタバタしていると午後2時過ぎに携帯電話が鳴った。発信者を見ると末尾が「1194」。見覚えがある番号だった。「1194→いい串」。そう昨晩財布をなくしたと思われる居酒屋さんの番号だった。電話に出ると「お客さん、財布ありました。昨晩の担当が店の金庫に保管しといたそうです。さっきは金庫の中まで見なかったものですみません」。おおっ! 助かった。お店の人に「ありがとうございます」と何度も礼を言って「夕方、取りに行きます」と告げた。さっそく心配してくれていた同僚のT記者、I記者に報告。会社にも連絡した。残念ながら一度ストップしたカードはもう使えないということで再発行になるという。それは仕方がない。それよりも財布を金庫にしまっておいてくれたお店の人に感謝! ほんとうにありがとうございました。

 その晩はまずその居酒屋さんに財布を受け取りに行き「ありがとうございました」と頭を下げた。その後急いで別のお店に向かった。9月中旬、松山商出身の西本聖さん(元巨人投手、日刊スポーツ評論家)の連載記事の取材で松山に出張した。その時に世話になった西本さんの高校時代の同級生と食事をする約束をしていたのである。お店で待っていたのは西本さんの同級生6人。財布をなくして、その後見つかったことを知っていた皆さんは拍手で迎えてくれた。その中には96年夏の甲子園で母校・松山商を率いて優勝監督になった沢田勝彦さん(現北条高監督)もいた。西本さんや当時の思い出話に花が咲きあっと言う間に時間が過ぎた。「鍋奉行」を自認する沢田監督がつくってくれたもつ鍋は大変おいしかった。松山のみなさん、お世話になりました。

 【9日】

 国体最終日。当初の日程ならこの日は午前10時から決勝戦1試合のみだった。しかし初日が雨天中止となったため午前8時半から準決勝を2試合やった後、決勝戦を行うという日程に変更された。

 準決勝第2試合は大阪桐蔭-津田学園。お目当ての根尾投手が先発した。これまで根尾選手のプレーはテレビなどで見たことがあったがほとんどが野手でのもの。先発登板を見るのは初めてだった。1回こそ2安打を許したが2回以降は無安打の好投。最速は144キロをマークした。5回コールド勝ちの完封勝利。大柄ではないが上手からの投球は角度があり、ストレートは一級品。変化球に磨きがかかればすごい投手になると思わせた。また4番に入った打席でも二塁打2本。前日までの2試合でも常に全力プレー。死球を受けても痛がるそぶりさえ見せず一塁まで全力疾走するなど、見ていて気持ち良い。こんな選手を見たのはプロ4年目、95年春のオリックス宮古島キャンプで見たイチロー以来かもしれない。投げて、打って、守って、走って。何をやっても素晴らしい。松山まで見に来たかいがあった。

 決勝は広陵-大阪桐蔭。7-4で広陵が勝ち国体初優勝。表彰式後、ドラフト1位候補の中村奨成捕手を取材。今大会で本塁打は出なかったが素晴らしい強肩を披露。26日のドラフト会議が待ち遠しい。

 【10日】

 帰りも飛行機ではなく陸路で。松山から「特急しおかぜ」に乗って岡山へ。ところが乗った電車が「アンパンマン列車」。車両はもちろんシート、アナウンスまでアンパンマン一色。落ち着かない気分で岡山到着。のぞみに乗り換えて東京へ。帰社して夕方からネットのドラフト企画でスポーツライターの小関順二さんをインタビュー。終了後、小関さんと会社近くの「すしざんまい」で打ち上げして長い1日が終わった。