ソフトバンク松田宣、東浜、高田、DeNA嶺井、山崎、広島九里、薮田…。「戦国東都」と称される東都大学リーグで、平成最多19度の優勝を誇る亜大。14年(平26)春に戦後初の6連覇を飾るなど、プロで活躍する選手を輩出しながら、結果を積み重ねてきた。04年から指揮を執り、リーグ優勝9度、明治神宮大会で3度日本一に導いた生田勉監督(52)の指導方針に迫った。

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球場までは、まだ500メートルほどあるだろうか。東京・日の出町の亜大グラウンドを訪ねると、正門をくぐり抜けた瞬間から、ノックを待つ選手たちの叫び声が響き渡る。生田監督が時折短い声を掛けると、部員たちは一斉に激しく反応して、プレーの厳しさは増す。練習終了まで一切統率は崩さない。

「学生には一番大事なものを教えたいです。僕は教育としつけだと思う。大学って最後の教育機関じゃないですか。今はオヤジの威厳がなさ過ぎると思うんですね。厳しいことを言うけど、本当に子供だと思って愛情を持って怒っている。彼らにいい環境をつくることが僕の一番の仕事です」

全面人工芝の球場にサブグラウンド、ブルペンは計11人が同時に投げられる。最新のトレーニング施設や打撃マシンを完備。「全力疾走」の石碑が立つ寮には3食+補食とおなかいっぱい食べられる食堂がある。

今季プロに在籍した選手の出身大学は、早大23人、明大19人に次いで、亜大は18人を送り出している。帝京時代のDeNA山崎は育成選手でもとプロ志望届を提出したが指名漏れし、広島九里は岡山理大付の2番手投手。厳しい練習で鍛え上げてきた。なぜ亜大の選手はプロで活躍するのか。生田監督は「体を鍛えて、技術をつけることは他の大学もやっていますが、僕らが違うのは心を強くしていることです」と言う。

「心技体」の「心」を強くするために、野球以外の経験を積ませる。「ある時に、この中で塾に行っていた人は手を挙げろって聞いたら、ほぼ全員挙げるんです。どこに行っていたと聞くと『野球塾です』と。違う、俺が言っているのは学習塾だと。野球以外で心が揺れたり、鳥肌が立ったり、感動する経験を今の子はしてないんです」。

毎年春と秋の年2回、レクリエーション日を設ける。日本武道館のDEENのコンサートに部員全員で出掛けた。映画「永遠の0」を見て感想文を提出させる。鹿児島キャンプでは知覧特攻平和会館を訪れ、同世代で命を絶った特攻隊の思いに触れた。「野球選手になりたくても、プロ野球を見たことがない子が多い」と球場にも足を運ぶ。

1人でも欠席の場合は中止で全員一緒が基本。「いろいろな経験をすることで、競った試合に強かったり、本当に苦しい時にひと踏ん張りできると思うんです。僕にできることは彼らへの“教育費”は惜しまないことなんです」。かつてのOB会費を廃止し、大学に「スポーツ振興基金」を設立。OBだけではなく、地域の関係者やファン、企業の社長など、幅広い人脈から寄付金が集まり「350万円だったOB会費が、今年7年目ですけど昨年は1年間で1200万円を超えたんです」。これが野球以外の活動を支える“教育費”になる。厳しくも、一風変わった指導方法。原点はソフトバンク松田宣が主将になった04年(平16)に起きた事件だった。(つづく)【前田祐輔】

◆生田勉(いくた・つとむ)1966年(昭41)8月16日、大分県生まれ。柳ケ浦(大分)から亜大に進学し、卒業後はNTT東京(現NTT東日本)でプレー。ポジションは捕手。92年から亜大コーチを務め、04年に監督就任。18年に大学日本代表監督に就任し、今夏のハーレムベースボールウイーク(オランダ)で24年ぶりの優勝に導いた。

14年2月、ソフトバンクの春季キャンプ休日に母校亜大の鹿児島合宿を訪れ、姶良市野球場前で笑顔でポーズを決める左から東浜、松田宣、高田
14年2月、ソフトバンクの春季キャンプ休日に母校亜大の鹿児島合宿を訪れ、姶良市野球場前で笑顔でポーズを決める左から東浜、松田宣、高田