平成は甚大な自然災害が続いた時代でもあった。東日本大震災から8年を迎えるにあたり「災害と野球」を取り上げる。8年ぶりに日本球界に復帰した巨人岩隈久志投手(37)が「3・11」を語った。楽天のエースだった8年前、東北が被災。海を渡ってからも復興の願いを胸にプレーを続けてきた。【取材・構成=古川真弥】

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アメリカでも3月11日を忘れることは、決してなかったです。日本時間の午後2時46分、日本の方を向いて黙とうしていました。向こうでは夜の10時、11時ですが、時差を考えて。毎年、欠かすことはありませんでした。

あの時、僕は明石でオープン戦のチームを離れ、横浜へ移動中でした。新幹線が止まり、名古屋で泊まることに。家族は仙台にいたけど、電話がつながらない。携帯のワンセグで被害状況だけは見られたから、心配で心配で。その後、4月になってからでしたね。チームで、やっと仙台に帰ることができた。その日の夜。確か、平石さん(現楽天監督)井野(現ヤクルト)塩川(現楽天コーチ)と4人でご飯を食べた帰りでした。車の中で突然、ものすごい揺れを感じました。大きな余震で、停電になった。真っ暗な自宅で、1人で夜を明かしました。

たった1日だけですけど、怖かったです。あれが何週間も続いたなんて…。

翌日はチームのみんなと一緒に女川の避難所を訪れました。今でも、目に焼き付いています。本当に、こんなことが起きるのかと。まさか、というか。あらゆるものが津波の被害を物語っていました。奥の方には、列車が横倒しになっていた。3階建てぐらいの建物は真っ二つになっていた。5階建てぐらいのビルの上の方には、津波の跡が残っていた。自然と涙が出てきました。

皆さんに、どんな言葉をかけたんだろう。言葉が出なかったですね。むしろ、僕らの方が励まされた気がします。「来てくれて、ありがとう」と言われ、勇気をもらいました。同時に使命を感じました。野球で全力プレーをして、見ている方に少しでも明るい1日を持ってもらおう。そういう気持ちで戦わないといけない。そう思った記憶があります。僕だけじゃない。1戦1戦、全力で。みんな、そう思ったと思います。

あの年の開幕戦(4月12日ロッテ戦で9回途中まで投げ、7安打4失点勝利)は本当に緊張しました。どの開幕戦よりも。もちろん、勝たなきゃいけなかった。嶋が7回に決勝3ラン。ファンの方の応援。皆さんに勝たせてもらったと思いました。

震災から日本国民は助け合って前進しました。僕らはスポーツを通じて何が出来るか、考えながらやってきました。翌年(12年)アメリカに渡りましたが、気持ちは同じでした。夢や希望を届けられるように頑張らなくちゃいけない、と。(つづく)