平成は甚大な自然災害が続いた時代でもあった。東日本大震災から8年を迎えるにあたり「災害と野球」を取り上げる。8年ぶりに日本球界に復帰した巨人岩隈久志投手(37)が「3・11」を語った。楽天のエースだった8年前、東北が被災。海を渡ってからも復興の願いを胸にプレーを続けてきた。【取材・構成=古川真弥】

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アメリカにいると、日本という国について、いろいろ感じることがありました。小さい国の中で、まとまっている。復興もスピードがあったと思います。停電が続き、ガスや水が通らない中でも暴動が起きず、みんなで前進していった。「アメリカでは考えられないだろう」と思いました。

毎年、日本に帰ってきたら被災地に行かせてもらったんですが、町自体は、だいぶ復興している。普通の生活をしているように感じられたし、仮設住宅も減っていきました。

ですが、やはり絶対に消えないものがあると思います。被災して、家をなくした方、家族を失った方。悲しみは一生、消えることはありません。僕らが行くことで、心の部分で少しでも元気になってもらえたら。そういう思いで野球教室などを続けてきました。まして、僕は楽天という被災した球団にいました。活動は、この先もずっと続けていきます。

8年がたちました。球界にも直接は震災を知らない世代が増えていく。時間の経過に伴い、記憶は薄れるもの。当事者や出身者でなければ、なおさらでしょう。

僕自身、そうでした。阪神・淡路大震災の時は東京の中学生。プロ(近鉄)に入って大阪に住んでいましたけど、何も感じずにやってました。震災の経験を伝えていくのは難しいですね。ただ、こうやって取り上げてもらえる。今の若い選手たちにも伝わると思います。家でも、子どもたちに話をすることはあります。「普通の生活ができることに感謝しなくちゃいけないね」と。素直に聞いてくれています。

震災の前から社会貢献活動を続けてきました。「なぜ」と聞かれても、実は、意味とか意義とか、深いことは考えずに自然とやっている部分が多いです。元気になってもらいたい。簡単な思いから始まっています。プロ野球選手は夢や希望を届ける仕事ですから。

プレーを見た子どもたちが、自分も野球選手になりたいと思ってくれたらうれしい。明るく過ごせる日が1日でも増えたらと願っています。逆に、応援してくれる皆さんに会うことでパワーをもらっています。

最後に、東北の皆さんへ。僕は今でも、仙台、東北が大好きです。交流戦でお会いできるのを楽しみにしています。(巨人投手=この項おわり)