さまざまな元球児の高校時代に迫る連載「追憶シリーズ」。第19弾は、末次秀樹さん(59)の登場です。

 末次さんは柳川商(現柳川=福岡)3年の夏、甲子園に出場し2回戦で敗退しましたが、最後の夏2試合で8打席連続安打を放ちました。すべての打席で安打を放った伝説の打者です。

 卒業後は中大、ヤマハを経て、指導者の道へ進み、母校の柳川をはじめ、自由ケ丘(福岡)の監督としても甲子園に登場しました。現在は真颯館(福岡)の監督として甲子園出場を狙っています。

 8打席連続安打の不滅の記録の裏にあった練習や運命のドラマは、指導者となった今も生きています。1976年(昭51)夏に1度もアウトになることなく甲子園を去った末次さんの高校時代、その後の物語を全12回でお送りします。

 10月2日から14日の日刊スポーツ紙面でお楽しみください。

 ニッカン・コムでは、連載を担当した記者の「取材後記」を掲載します。


取材後記


 北九州市にある真颯館グラウンド。末次監督が紅白戦を終えたナインを集めた光景を見て、思いました。「末次監督が一番でかい」。身長188センチ。さすがに体形こそ、かっぷくのいい感じですが、円陣を組んだ選手より、頭ひとつ出ていました。長年、高校野球を取材していますが、多くは選手の方が背が高いんですが、末次監督はひときわ目立ちます。さらに特徴的な甲高い声。「物心ついた時から、こんな声ですよ。でも、高い声なんで、遠くまで声がよく通るんですよ」。そう言うと、末次監督はニッコリ笑いました。

 柳川商2年のセンバツこそ3打数1安打でしたが、3年夏の甲子園では8打席連続安打。夏は1度も打ち取られることなく甲子園を去りました。もう40年以上も前のことを振り返ってもらったんですが、事細かに覚えていたのには驚きました。自宅にもおじゃまさせてもらいましたが、壁は高校野球の写真だらけでした。自分の高校時代、監督時代、そして4人の子供らの写真が、きれいに並べられていました。

 「2人の息子と甲子園に行けて幸せですよね。娘2人も柳川テニス部の主将ですからね」。“親バカ”なコメントも伝説級です。

 末次監督には甲子園に出場した兄弟以外に、姉妹がいます。次男と双子の長女と第4子の次女。この姉妹は全国的に強豪と言われ、あの松岡修造氏を生んだ柳川硬式テニス部女子の主将を2人とも務めました。188センチで50メートル走5秒8の長男に184センチの次男。長女は170センチで50メートル走6秒0、次女も167センチ。次女は日本代表にも選ばれました。

 「体がでかいのが私譲りで、足が速いのは母譲りです」。長女には絵の才能があるのか、父の自画像を油絵で描いてます。末次監督は自宅に飾られた柳川監督時代の自画像は自慢にしています。

 末次監督は、そんな「お父さん」ぶりからは想像できないほど、高校時代は壮絶な時代を乗り越えて栄光をつかみました。

 「これからの時代は、どれだけ選手にとっていい環境を整えることができるかになると思うんです。監督として柳川、自由ケ丘で甲子園に行けた。真颯館として甲子園に行けたら3校目ですよね。そんな監督います?」

 自らの経験を生かして、さらなる次の道を模索する。来年還暦を迎えますが、末次監督の高校野球に対する情熱は衰えることはありません。【浦田由紀夫】