山梨県勢にとって、もっとも全国優勝に近かったのが04年の東海大甲府と言っていいだろう。県勢過去3度の4強はすべて同校。中でも劇的な勝利が、3回戦の聖光学院(福島)戦だ。6点差の7回に4点追い上げ、9回に清水満二塁手(3年)が右翼席に逆転サヨナラ3ラン。当時史上4人目の逆転サヨナラ本塁打で、3ランは史上初だった。

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 6回を終わって2-8。終盤の大逆転で4強に進出した。サヨナラのヒーロー、主将の清水は今、リコー社員として神奈川・厚木事業所で働いている。関甲新学生野球連盟の平成国際大で硬式野球を続け、副キャプテンを務め、主軸を任された。卒業後はリコーに入社し、今春から同社の軟式野球部監督も務める。31歳になった今も、あの夏は鮮やかな宝物だ。

 清水 次が4番の仲沢(広基=08年巨人入団)だったので、バントも頭に入れて打席に入ったんですけど、監督からは「お前に任せた」のサインでした。

 2点を追う9回無死一、二塁。「めったにない」という特別なサインが出た。打席で監督・村中秀人(59)の「清水、お前に任せたぞ」という気持ちが伝わった。清水は「意気に感じました」。サインを見た一塁、二塁の走者も、清水を信じ、大きくうなずいた。当時コーチで現部長の和泉淳一(45)は振り返る。

 「1点差だったらバントですよ。でも2点差。監督も、清水がよく練習していたのを知っていたから、打たせたんです。私は『よし』と思いました。それが、打った瞬間ですよ。あれはうれしかったな」

 初球の外寄り直球を、右翼席中段にたたき込んだ。清水の練習量が生んだ放物線だった。

 清水 僕らは「不作の年」と呼ばれてました。1年生大会でも公立にコールド負けして「やばい」って思いましたね。2年秋も3回戦負け、3年春もベスト4、夏でやっと優勝。弱かったです。僕なんか中学軟式で、下手だったので、練習しないとどうしようもなかった。新チームから主将で、口では示していけなかったので、誰よりも遅く帰って、誰よりも練習して、そうしないと示せない。全体練習が終わって、1日2000スイングくらい。4時間以上かかりますね。

 和泉は言う。「あいつは夕飯の時間になっても終わらない。食堂のオヤジを困らせてました。全体練習でのマシン打撃では、外角高め140キロを右翼へ持っていく練習を自分に課してました。(左打者なら)普通は外角はレフトに打ったりするんですが、あいつは涙を流して頑張った」。

 初球、その球が来た。練習はウソをつかなかった。

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 今は週4日、就業後に練習し、12年以来の全国大会を目指している。清水は、監督として「仕事、家庭、野球」のバランスに留意しつつ「練習は当時と量は変わってますけど、やる。練習やらないと勝てない。チャンスも回ってこない。会社のいろんな方にサポートしていただいて出来ている野球なんで、手を抜かずに恩返ししたい」と言う。

 サヨナラ3ランのバットは、今も和泉の自宅に保管されてある。「大事なときにベンチで『これで打て』と手渡すんです。4強になった12年夏の甲子園、新海主将が清水のバットで決めました。清水のバットだと打つんです。すごいバットですよ」と和泉。伝説のバットとして受け継がれている。清水は「何年前のバットですか? もうカビ生えてるでしょ?」と照れて笑い飛ばす。ただ、そのくせ、何とも誇らしそうだった。(敬称略=つづく)【金子航】


▽04年3回戦

聖光学院(福島)

021 311 000 8

000 200 403X 9

東海大甲府(山梨)


 ◆山梨の夏甲子園 通算41勝53敗。優勝0回、凖V0回。最多出場=東海大甲府13回。

リコーの軟式野球部の監督を務める清水満さん
リコーの軟式野球部の監督を務める清水満さん