大谷翔平はエンゼルスか、アナハイム、行ったことない、てか、米国の都市なんて有名なところ以外、ほとんど行ったことないし、などと思っていると電話が鳴ります。

 「今年というか、どうすんねん?」。小学校時代の友人からです。

 いまはある分野、仕事で相当エラくなっているらしいですが、そこは昔の友だちなので遠慮がない。「おお。どないしよか」と年末年始、恒例の日程を相談します。

 申し訳ない(というのも変ですが)のですが、私は小学校時代から生活拠点があまり変わっておらず、友人たちも同様。そういうことで会おうと思えばいつでも会えるのですが、そこは日本人、年末年始には突然、古い友人たちと会いたくなるのですね。

 コラムを読んでいただいている方々も同様ではないでしょうか。地方から都市部、あるいは逆の場合もあるでしょうが、地元を離れて活動している人は多いと思います。

 県人会、同窓会、といろいろな集まりがあります。それこそ国によっては、日本人会なんてのもあるらしい。日本人が海外で普通に活躍したり、どれだけ活躍の場が広がっても、地元のつながりというのは特別なものということなのでしょう。

 前置きが長くなりましたが少しだけ阪神の話です。

 守備の名手・大和がDeNAにFA移籍することが決まりました。昨オフは糸井をオリックスからFAで獲得し、その人的補償で金田和之がオリックスに移っています。

 大和、金田の2人に共通するのは「鹿児島出身」ということ。来年の大河ドラマは「西郷どん」やしな、なんて無関係なことを考えていると突然、あるシーンを思い出してしまいました。

 あれは昨年2016年の今頃、年末、場所は甲子園球場近くの商業施設だったと記憶します。ブラブラしていると、ばったりと顔を合わせたのは阪神の若手・横田慎太郎でした。金本阪神1年目の開幕で活躍したのは記憶に新しいところです。

 横田は、こちらに気づくと「こんちは!」と気持ちよくあいさつしてくれました。もちろん買い物でしょうし、プライベートなので、それ以上は声を掛けずに、その場所からいったん別れました。

 当時は先に書いた金田のオリックスへの移籍が決まった頃でした。実は横田も、鹿児島で同郷。阪神には他にキャプテンの福留、さらに榎田と鹿児島出身が結構、多い。

 そんなことを考えながら歩いていると横田を再び発見した。今度もしっかり会釈してくれるので、なんとなく金田の話を出してみました。

 「そうなんですよ。金田さん、同じ鹿児島出身でよくしてもらったので。寂しいですね。寂しいですよ」

 その話題について真面目な顔で話す横田を見て、想像以上に純朴でいい青年なんだな、という印象を受けたものです。

 そして年が変わり、17年春の宜野座キャンプ。期待されていた横田ですが頭痛を訴えて離脱。その後の病状は既に報道されている通り。先日、育成契約を結び、復帰を目指すことが決まりました。

 育成選手としての契約を終え、記者に囲まれながら、久しぶりにこちらの顔を確認した横田は、なかなか良い笑顔を見せてくれました。元気そうやないか、相変わらず…。思わずうれしくなってしまいました。

 いろいろな病気と闘い、あるいは共存しながら現役生活を続けるスポーツ選手はいます。

 個人的な話ですが、子どものころからぜんそくに悩まされていた私は、同じ病気を持つ著名人の存在を知り、不思議なぐらい、力を得たことを思い出します。

 どんな病気でもそうですが、特に横田の場合は簡単なことではない。そう思います。それでも再び1軍に戻ってきて、暗い話の多い世の中を照らす光明になってほしい。

 いや、それもそうだけど、戦力以前にもう1度頑張ろうといういまの状況だけでも素晴らしいなあ、と日暮れの早いこの時期に思うのです。