阪神OB・横田慎太郎さんの訃報を受け、思わず涙が出てきます。28歳。そんなに早くこの世を去らなければならないのか。みんなに好かれ、体力にも恵まれていたはずのアスリートがそんなに早く逝くのか。陳腐な言い方しかできませんが、悲しい気持ちでいっぱいです。

こちらからすれば、自分の子どもたちと同じような年齢だった横田さん。選手と記者として個人的に親しく付き合うことはありませんでしたが、取材の度に見せる笑顔は本当にかわいかったのです。

もっとも光ったのは金本知憲氏が監督就任した16年でしょうか。1軍宜野座キャンプに抜てきされ、連日、練習に励んでいました。当時、彼の記事をよく書き、話もしました。

阪神の選手はいつも注目されるので、正直、取材対応をめんどくさがる選手もいます。しかし横田さんは、いつも真摯(しんし)に話してくれたものです。

その年は高山俊、板山祐太郎といった左打ち外野手のルーキーイヤー。「(彼らには)負けません!」と言い切っていた強気な表情もありました。

憧れていたソフトバンク柳田選手とオープン戦で対戦したときのこと。柳田に「横田はどう?」と聞くと「パワーありそうですね」と感想を口にしました。それを横田さんに伝えると「本当ですかあ~?」と、とてもうれしそうな顔をしたものです。

病気になり、それが寛解したと聞いてしばらくした頃のことも覚えています。甲子園近くのショッピングモールでばったり会いました。プライベートの場なので普通は遠慮しますが1人だったので、声をかけてしまいました。

「横田くん! 元気になったんやね? これからやな!」

そう言うと、ほとんど直立不動の姿勢で「はい! 頑張ります!」と答えるではないですか。「ええ男やな、こんな若者が阪神のスターになってほしいな」。そう思っていましたが病魔には勝てず、引退となりました。

その頃、いまは大リーグで投げる漢字違いの同名である藤浪晋太郎がしみじみと語っていたことを思い出します。

「慎太郎のことを思えば、野球ができるだけで幸せですよね。ボクも頑張らないと」

藤浪が語った思いは、きょうを生きる我々すべてに共通するものかもしれません。横田さんのことを思えば朝、目覚めて「きょうも生きている。ありがたい」と感じられるし、新たな1日を精いっぱい生きようと思えるのでは。そう思うのです。

人間は生きた年月の長さで評価されるものではないと思います。どれだけ一生懸命に生きたか。どれだけ周りに愛されたか。そしてどんな影響を与えたか…。そんなことが大事なのではと、思っています。

その意味で横田さんの人生は、間違いなく、たっぷりとしたものだった。そう確信しています。【高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「高原のねごと」)