地元の学童軟式野球チームから地元の中学軟式部活チームへ。硬式ボールには本格的に触ったことがない。そこから名門帝京(東東京)の背番号1をつかんだ。多くの軟式野球少年に夢を与える話だ。

安川幹大(かんた)投手(2年)。9月13日に帝京グラウンドで行われた高校野球秋季東京大会1次予選1回戦で聖パウロ学園を2-1で破った。右腕安川は初の公式戦登板で3安打1失点と見事な完投勝利を飾った。

筆者の息子が所属していた江戸川区の学童小学校チームで先輩投手だった。当時、筆者はよく試合の手伝いで「二塁塁審やります」と希望した。投手の真後ろで球筋が良く見えるグラウンドの“特等席”だ。小学校時代の安川が投げていたボールは、背後で見ているとまさに打者の手元で浮き上がって見えた。スピンの効いた球だった。チームのスーパーエースでまさに“軟式無双”だった。観戦したくなる投球だった。

所属していた平井ビクトリーズ(小松川地区)で指揮していたのは知性派の佐藤元彦監督(現総監督)で、無理せず伸び伸びと育てる方針だった。スパルタとは無縁の、体操など体幹トレーニングを豊富に取り入れた多彩な練習で体をつくった。ちなみに、安川とバッテリーを組んだ佐藤総監督の長男佐藤有真は日大桜丘に進み今夏都大会16強入りの原動力となり、現在主将を務めている。

安川は地元の小松川第一中に進み、大谷大地監督の情熱的な指導で育てられた。そして異動でバトンタッチ。大谷監督からの綿密な引き継ぎで、元桜美林(西東京)のエースで帝京大時代は元ロッテの里崎智也氏とバッテリーを組んだこともある草刈源監督の元で鍛えられた。

安川は野球漬けの今でも時間があると中学校に顔を出し、校庭で後輩にアドバイスをしてくれる。そういう姿勢が現在につながっていると思う。

精鋭ぞろいの帝京の中でエースナンバー「1」を巡る争いは始まったばかり。帝京の全国への戦いも始まったばかり。それでも、コロナ禍の中で、軟式野球少年にも励みになる安川のニュースだった。

【栗原弘明】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)

帝京対聖パウロ学園 先発完投した帝京・安川(撮影・古川真弥)
帝京対聖パウロ学園 先発完投した帝京・安川(撮影・古川真弥)