7年前の夏、私は仙台から空路、甲子園に飛んだ。「あるもの」を仙台育英の加藤雄彦校長に渡すために。

出発の前日、仙台育英は準々決勝で秋田商を破り、準決勝進出を決めた。佐藤世那や平沢らの活躍を、仙台市内の東北総局内で見ていた私は突然思い立ち、市の中心地から車で約30分ほどの秋保神社に向かった。

秋保神社は、征夷大将軍・坂上田村麻呂を由緒に勝負の神様を祭っていて、勝負事には霊験あらたかと評判だった。何より、その前の年、ソチで金メダルを獲得した羽生結弦さんが、五輪前に必勝祈願したことで有名になっていた。

私は居合わせた宮司さんに「羽生選手と同じお守りはありますか」と聞き、1000円のお守りを2つ買った。1つは準決勝用、もう1つは決勝用。「これを加藤校長に届けよう」。総局に戻って、急いで飛行機の予約を取り、翌日、甲子園に到着した。

本当に「日本一になってほしい」と思っていた。東北の学校は100年近く、悔しい思いを重ねてきた。関係者から話を聞くたびに、早く白河関を越えさせてあげたいと思っていた。仙台は私が生まれた場所でもある。

ただ、「純粋」にそう思って行動したのか、と問われるとそうでもない。大会が始まる前、加藤校長に会って、あるお願いをしていた。

「もし御校が優勝した場合は日刊スポーツに特別号をつくらせてください」。

なんのことはない、半分は打算でもあったのだ。

清宮が1年生で3番を打っていた早実を破り、迎えた東海大相模との決勝戦。中盤、仙台育英が同点に追いついたときは、試合の流れからして「これは優勝だ」と思った。号外、翌日の紙面、校長から許可をいただいた特別号。あれこれ段取りを考えていたとき、パカーンという音が聞こえた。東海大相模の小笠原の勝ち越しホームラン。言葉が出なかった。

勝負事は「勝った」と思ったときに負ける。勝負の神様からあらためて教わった気がした。そして、打算で羽生さんに便乗してしまったこと、申し訳ないと思った。【14~18年東北総局・沢田啓太郎】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)

2015年8月20日、甲子園決勝 東海大相模対仙台育英 9回表東海大相模無死、勝ち越しのソロ本塁打を放つ小笠原慎之介。投手佐藤世那
2015年8月20日、甲子園決勝 東海大相模対仙台育英 9回表東海大相模無死、勝ち越しのソロ本塁打を放つ小笠原慎之介。投手佐藤世那