4日は闘将・星野仙一の命日だ。酒を飲まず、コーヒー、紅茶を好んだ星野が行きつけにしていた店に足を運ぶ。「珈琲館 尾賀」(神戸市東灘区)。「もう4年ですもんね…」。今年82歳になるという店主・尾上露子が相変わらず元気な顔で迎えてくれた。

マスク越しに話をしていると見知った人物がふらりと訪れた。星野阪神時代、球団本部長を務めた竹田邦夫。現在は阪神関連のグッズなどを取り扱うシャープ産業の取締役社長である。

「偶然ですね。でも久しぶりに会えて良かったですよ。コロナ、コロナでほとんど知り合いとも会っていないですし」

こちらも当時と変わらぬ柔和な様子だ。“やらせなし”の同じ時間帯、カウンターに同席。その右端には、そこを定位置にしていた闘将のために今年もコーヒーが入れられていた。

常に控えめな竹田だがアメリカンフットボールに熱中した関学大時代は「甲子園ボウル」に出場。日大を下し、大学日本一に輝いた。選手として甲子園で優勝し、阪神職員として闘将の胴上げを甲子園の間近で見た経歴を持つ。47年生まれの星野より3歳下だが誕生日は同じ1月22日。そこに縁も感じ、フロントの一員として星野を支えてきた。

「忘れられないのは1度、カミナリを落とされたことです。天候不良だったのに試合を強行した結果、広島戦が途中で中止になった。そのとき『何を考えとるんじゃ! 選手がケガしたらどないするんや!』とエラいけんまくでね」

星野は選手には厳しかった。一線を引いていたし、仲良しムードはなかった。その裏でコンディションなどには細心の注意を払い、常に球団側に対して盾になる姿勢を持っていた。選手から恐れられながらも愛された1つの理由だ。

「今から思えばあれもパフォーマンスだったんでしょう。『球団の人間もいろいろなことをもっとしっかり考えろ』と強調するためのね」。竹田は述懐した。

阪神に限らず、最近はどこも選手のリラックスムードを重視する。時代の流れだが、やはり戦う集団ということは忘れてほしくない。厳しく、そして楽しくがプロだろう。

「オレはな。大阪、関西が好きなんや。友だちもいっぱいできたしな。阪神に来てホンマによかった」。そう言った闘将を喜ばせる結果を、そろそろ本当に出してほしい。(敬称略)【高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「虎だ虎だ虎になれ!」)