沖縄・名護から車で県道84号を北へ、約25分。本部町へ近づくと、沿道のガードレールに「祝 本部町出身初のプロ野球選手誕生! 東北楽天イーグルス 内間拓馬さん おめでとうございます」という垂れ幕を何度も目にした。昨秋、内間の楽天ドラフト4位指名と同時に結成された「内間拓馬後援会」の池宮城政章会長は「町民に夢を与えてくれました」と感慨深く言った。

本部町のガードレールの垂れ幕(内間後援会・提供)
本部町のガードレールの垂れ幕(内間後援会・提供)

1950年(昭25)に東急フライヤーズ(現日本ハム)に入団した県出身プロ第1号の金城政夫投手が本部町出身と伝え聞くが、出生地の詳細は不明。戦後、本部町からプロ入りした選手は内間が初となる。

町民約1万4000人の小さな町は、大いに沸いている。昨年11月24日、内間が本部町役場、本部町警察を表敬訪問すると、町長、警察署長をはじめ、町中の人に大歓迎を受けた。池宮城さんは「キャンプも、スポーツニュースは県出身選手を中心に報道してくれるので、みんなテレビにかじりついて見ていますよ」と、コロナ禍の町民を楽しませている。

故郷の本部町の町役場を表敬訪問した楽天内間(左から4人目)。左から3人目が母・多賀子さん、同5人目が後援会会長の池宮城政章さん(内間後援会・提供)
故郷の本部町の町役場を表敬訪問した楽天内間(左から4人目)。左から3人目が母・多賀子さん、同5人目が後援会会長の池宮城政章さん(内間後援会・提供)

本部町で生まれ育った内間は、自他ともに認める野球おたくだった。愛読書は野球雑誌。家族で名護のショッピングセンターに買い物に出掛けると、いの一番にスポーツ用品売り場のグラブの前に陣取り、時間も忘れ眺めていた。学校の帰りは、町で唯一のスポーツ店に立ち寄るのがルーティン。中学の職業体験でもスポーツ店を選んだ。「グローブの革のにおいとか、空気に触れているだけでうれしかったんです」。暇さえあれば野球の動画や、試合中継、スポーツニュースを見てはわくわくした。「田舎でやることがなかったので。でも、今となってはその環境が、よかったのかもしれませんね」と野球漬けの幼少時に感謝する。

故郷の本部町の町役場を表敬訪問した楽天内間(中央)。左は本部町長・平良氏、右は母・多賀子さん(内間後援会・提供)
故郷の本部町の町役場を表敬訪問した楽天内間(中央)。左は本部町長・平良氏、右は母・多賀子さん(内間後援会・提供)

過疎化が進む町からのプロ野球選手誕生は、子どもたちにも夢を与える。町には硬式野球専用の球場がなく、学校の運動場で練習をする程度。中学で野球をやめてしまう子どもが多く厳しい現状だ。内間は、この町から宜野座へ進学し野球を続けた。小さいころの夢はスポーツ店で働くこと。まさか自分がプロ野球選手になれるとは想像もしなかった。「この環境からもプロ野球選手になれる。夢は無限大で可能性はある。それをこれから町の子どもたちに伝えていきたい」。町民の大きな夢を背負う挑戦は、始まったばかりだ。

故郷の本部町の町役場を表敬訪問した楽天内間。山の上から本部町を見渡す(内間後援会・提供)
故郷の本部町の町役場を表敬訪問した楽天内間。山の上から本部町を見渡す(内間後援会・提供)