千葉の君津市に「縁」という美容室がある。楽天・藤平尚真投手(18)の母直美さん(42)が営む美容室だ。両親が共働きだった藤平は、祖父母から「自分のことは自分でやりなさい」と厳しく育てられてきた。本当は1人っ子の甘えん坊。中3で家を出て、名門・横浜高校の寮に入寮。中学生の侍ジャパン(U-15)のポスターにもなった藤平は、高1春からAチーム入り。周囲からの期待を一身に浴び続け、高校野球を駆け抜けた。

 直美さんにリクエストする差し入れはいつも決まっていた。ポテトチップや甘いお菓子や、炭酸飲料ではない。ケガの痛みを緩和する薬「ボルタレンを5個」。直美さんから、無言でこっそり受け取るだけ。会話はほとんどない。弱音も吐かない。たまに実家に帰省した時、直美さんに髪を切ってもらいながらする会話が、素に戻れる至福のひとときだった。


 「私も主人も野球のことは全くわからないもので…」と直美さんは話す。高校時代は「渡辺元智(前)監督、平田徹監督。寮の食事を作ってくれている(渡辺)元美さん、野球部の仲間たち…。尚真は本当にいい人にめぐまれてここまで来ました。感謝してもしきれないんです」と、いつも頭を深々と下げて話した。人のつながりを何よりも大切にしてきた藤平家。だから、美容室の名前を「縁」にした。仲間意識の強い藤平も、いつもこの言葉が胸にある。


■「僕は母さんがいないと何もできない子供でした」


 一度だけ藤平が母のことを話したことがある。昨年12月、入団パーティーで壇上から手紙を読み上げた時だ。

「僕は小さい頃から母さんがいないと何もできない子供でした。たくさん迷惑かけて、たくさん頭を下げさせて、本当にごめんなさい。これから親孝行するために仙台で野球をします。これからも応援し続けて下さい」。読み上げると、額には汗がびっしょり。気持ちのこもったスピーチに、会場からは万雷の拍手が沸き起こった。


 「両親に支えてもらった。今までありがとうございます。これからも応援よろしくお願いします」。待望の初勝利をつかんだ藤平は、ZOZOマリンのお立ち台で、観戦に来ていた両親へ感謝の言葉を贈った。インタビューに答える笑顔は、直美さんにそっくりだ。先日、楽天の先輩の紹介で、初めて仙台市内の美容室で髪を切った。「母さん以外の人に切ってもらって、なんか変な気持ちがしました」と笑った。プロに入り、直美さんに髪の毛を切ってもらうことはもうない。大人に向かう階段を上がりながら、「良縁」を自らの手で引き寄せ、大投手への道をつき進む。【樫本ゆき】