滋賀大会で快挙が生まれた。石部・信楽戦に先発した八幡工の布谷綸玖(りんく)投手(3年)が、9回ノーヒットノーランを達成した。右サイドから真っすぐと変化球で的を絞らせず、打者29人に116球、与四球2個、毎回14奪三振。三塁も踏ませず、滋賀大会史上6人目のノーヒッターになった。

 八幡工・布谷は最後まで無心で右腕を振った。サイドから力強い真っすぐとカットボール、カーブなどの変化球を織り交ぜ、連合チーム相手に14奪三振。4回2死から2四球を与えたが5番打者を三振に斬った。許した走者はその2人だけ。「1球1球ミットを目がけて投げただけです」。謙虚にノーヒットノーランを振り返った。

 中主(ちゅうず)中時代は捕手としてチームをけん引。高校入学後も捕手だったが、2年春に練習試合で登板したことをきっかけに投手へ転向した。「小学校の時に経験していたので、いけると思いました」。転向当初は上手投げだったが、2年夏に下手投げへ。最終的に横手投げするなど試行錯誤をこらして今に落ち着いた。

 チームメートからいじられる一面を持つが、野球はストイックだ。「八工コース」という全長2・4キロに及ぶ学校周辺のランニングコースがある。休養日など時間があれば、1人黙々走って下半身強化に取り組んでいた。最低でも3周以上はしているという。「走り込んで下半身を鍛えた成果が実った。うれしい」。日頃の積み重ねが快投を生み出したに違いない。

 エースの好投に赤井篤監督は「ボール自体は良くなかった。でも気温とかあった中でこういう投球ができたのは成長した証しだと思う」と評価した。次戦は15日、八幡商だ。近隣校だけに八幡ダービーとなる。快挙で手にした1勝で終わるつもりはない。【山川智之】

 ◆布谷綸玖(ぬのたに・りんく)1999年(平11)10月28日、滋賀・野洲市生まれ。小学1年の時にリプスジュニアで野球を始め、主に投手。中主中で捕手に転向。八幡工入学後も捕手だったが2年春から投手に。憧れの選手は日本ハム大谷。178センチ、75キロ。右投げ右打ち。