前橋は創部1897年(明30)の県内最古の野球部だ。

 着々と力をつけ、全国大会出場の機運が高まっていた1923年(大12)。関東大震災に遭ってしまう。さらに翌年、当時優勝すれば甲子園に出場できた関東大会。準決勝直前に事故が起きた。エースの振っていたバットがチームメートの頭部に直撃。意識不明で即入院となり、ナインは戦意喪失。優勝候補に推されながら、決勝で敗れてしまった。

 それでも6人が残った新チームは底力を発揮した。招待試合で松本商、早実などの名門校を倒し自信をつけると、圧勝で関東地区を制覇。25年、念願の甲子園出場を果たした。甲子園では1回戦で米子商(鳥取)に1-2で敗れたが、当時は前橋にかつてない活気がもたらされたという。

 現在は戦後に行われた学制改革で県立前橋高校に名を改め、県内屈指の進学校となった。昨年は野球部から東大合格者を輩出。大会直前は練習試合で模試に参加できず、選手は後日練習後に自宅で模試をする。同校OBでもある安田智則監督は「伝統の形は変わっても甲子園に行きたい気持ちは変わらない」と文武両道を求める。そのため練習スタイルは効率性に特化する。

 効率性が顕著に現れているのが打撃練習だ。試験的にフリー打撃を全員がやる時の時間とスイングをチェックした。すると2時間で20スイングしかできていなかったことが発覚した。そこで安田監督はショートスローバッティング(通称STB)を考案。投手が座って5メートルからの距離で投げて打者はフリー打撃のように思いっきりスイング。イメージ的に上から投げてもらうロングティーのようなもの。これにより5カ所のゲージができ、打ちっ放し状態に。守備なしで済むため選手は室内で打撃練習を行うことができ、1日の振る量が格段に増えた。

 ここ数年は私立が甲子園に出場する状況が続く。夏の甲子園は48年大会を最後に出場できていない。相原大輝主将は「僕たちは前高らしい野球で1戦1戦勝ちにいきたい」。今年は集中力が高く勝負強さを発揮。文武両道でOBの背中を超えてみせる。【山川智之】