2018年夏、全国高校野球選手権大会(甲子園)が100回大会を迎えます。これまで数多くの名勝負が繰り広げられてきました。その夏の名勝負を当時の紙面とともに振り返ります。

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<第61回全国高校野球選手権:箕島4-3星稜>◇1979年8月16日◇3回戦

 甲子園でどえらい奇跡!春夏連覇をねらう箕島が延長戦で再度同点ホーマーという神がかり的離れ業を演じ、延長18回サヨナラ勝ちした。星稜が先手を取るとその裏すかさず箕島が同点と、手に汗握る3時間50分の名勝負。2死から同点ホーマーの嶋田、森川も立派だが、敗れた星稜の小松2世・堅田も見事なピッチングで万雷の拍手を受けた。箕島は池田とともにベスト8入りした。

 なんという感動の18イニングだろう。負けた星稜の山下監督は「堅田を、いや、15人全部を抱きしめてやりたい」とかすれた声でいった。勝った箕島尾藤監督でさえ目をうるませていた。「オレにこんな感激を味あわせてくれるなんて、あきれかえったやつらだよな」

 あきれかえるのは当然だった。前半の9イニングスは前座のおまけ。若いエネルギーは延長の回を追うごとに「まさか」の奇跡を演じていった。16回、観衆の悲鳴とともに星稜に1点が入った。堅田が左腕をグルグル回しながら、マウンドに向かった。たちまち2死。12回に箕島は、同じ場面で嶋田が、春夏連覇をつなぐ同点アーチを放っている。

 箕島・嶋田 延長に入ってからは気力と気力のぶつかり合い。負けるなんて一度も思わなかった。

 でも16回の場面は、打席に向かう森川には酷すぎた。まだ2年生。「最後の打者にはならん、と必死に自分にいい聞かせた。だが自然、弱気になってしまって…」と正直にいう。だから、初球、ボール気味の高めにあっさり、手を出した。一邪飛。一塁ベンチで尾藤さんは目をつぶった。三塁ベンチで山下さんがニコッとした。一塁手の加藤が「オーライ」と手を上げて、素早く打球方向へスタートを切ったからだ。

 ところが一邪飛は加藤のうしろに落ちた。甲子園には、一塁ベンチ前から三塁ベンチ前にかけて人工芝が張りつめてある。グラウンドとの境目は、人工芝の方が1センチ高い。その1センチに左足を引っかけた加藤は、もんどり打って転倒した。

 星稜・加藤 とれると思った瞬間にころんだ。でも人工芝をうらんだって。もっと早くボクが落下点へ行けばよかったのに…。

 「ウーッ」というため息。そのため息で森川は気を取り直した。彼、14回1死三塁のサヨナラ場面の走者で、星稜若狭に隠し球をやられている。

 星稜・若狭 堅田さんと目がチカッとあったのでやったんです。あの時はうれしかったけど負けては……。

 森川は、そんなミスも、弱気も、ファウルで命拾いした瞬間忘れた。頭の中にあるのは「一度死んだんだからなにも考えることないや。いっそのことホームランをねらっちゃえ」だった。なんという開き直りだ。カウント2-1からの堅田の187球目をたたいた一度死んだ球児の打球は左中間スタンドに飛び込み、二度死のうとした箕島の息を、またまた吹き返らせた。

 一塁側のアルプス・スタンドで箕島の女子高生が泣きだした。ネット裏で、両校を応援していた女子の一群までポロポロ。大つぶの涙だ。3万4000人。ナイターに突入しても1人として席を立とうとしなかった観衆はみんな騒ぎまわった。

 生き返った箕島は18回、引き分けを願ったファンの思いをよそに、上野がタイムー打して決着をつけた。一度ならず、二度も奇跡を演じたチームの、それは維持だった。永野主審は「18回は初めて。私情になるかもしれないが引き分けさせてやりたかった」と女神のいたずらを憎んだ。

 3時間50分の時間とスコアまで忘れさせてしまう大激闘。丁寧におじぎして返る星稜ナインに3万4000人が手の痛くなるほどの拍手を繰り返すのだった。

 

※記録と表記などは当時のもの