平成ラスト甲子園で史上初の偉業が刻まれた。東邦(愛知)が習志野(千葉)に快勝し、平成の最初と最後のセンバツ制覇を果たした。エースで主砲の石川昂弥投手(3年)が2ラン2発、投げては3安打完封という史上初の快挙。東邦を単独トップのセンバツ5度目Vに導いた。令和の夏へ時代をまたぐ新怪物が、ドラマに彩られた平成高校野球史を完璧に締めくくった。

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30年間、幾多のドラマを見つめてきた緑の芝、黒い土。甲子園に「TOHO」の純白のユニホームが踊った。歓喜の輪の中心は右腕を突き上げた石川だ。

「最後に自分の力を出し切ろうと思っていました。夢のような時間です」

ゴジラ松井、怪物松坂…。平成甲子園の歴代レジェンドに匹敵する衝撃だった。初回の打席は、1死一塁からバックスクリーン右に特大の先制2ラン。5回には右中間最深部に自身3号の2ランをたたき込んだ。平成最後の甲子園大会アーチ。「あ、意識していなかった」と頭をかいた。

投げては3安打無四球の完封。甲子園での2発&完封は春夏通じて史上初。140キロ台の速球と多彩な変化球をぎりぎりに投げ分けた。連投の疲れで「力が入らん」と仲間に打ち明け、3回から元々の投法だった楽な横手投げも交ぜた。初の試み。昨年から投手を始めたとは思えない器用さだ。

「あれは大きかった。だいぶ楽になりました」と初回無死一塁の守備でバントを併殺打にさばいた。俊足タイプの野手用スパイクをはくエースは「僕は打者です。完封より本塁打がうれしい」とさらり。野手1本でプロ入りを志望する。

昨年11月、森田泰弘監督(59)が腎移植手術のため離脱。主将は3カ月間、選手をまとめた。走り込みで手を抜いた選手を「何してんだ。みんな意識を変えようと頑張っているのに!」と怒鳴り上げた。監督不在の大ピンチを乗り切り、精神的にも成長した。

父尋貴さん(46)は平成元年優勝時の3年生部員。中学2年の冬、合宿を父と訪れ、東邦進学が決まった。森田監督は「最初見たときに東邦を1つ上のステージに上げてくれる男だと思った」と振り返る。朝には「優勝しような」と伝え、試合後には「石川がいたから私は『優勝、優勝』と言ってきた。絶対的存在。彼がいるから周りも頑張れる」と感謝した。

「優勝して全員、自信になった。ここからまた夏に優勝するためにやっていきます」。平成から令和へ。2つの時代を走り抜けるヒーローは春夏連覇に照準を定めた。【柏原誠】

▽アルプス席で見守った石川の父尋貴さんは感無量だった。「やってくれると思っていた。平成の最初と最後でこう締められたのは、何かそういうストーリーがあったのかな。野球をするには優しすぎると思っていたけど、いい方向に出ている。動じないところはいいですね」と喜んだ。

◆石川昂弥(いしかわ・たかや)2001年(平13)6月22日生まれ。愛知・半田市出身。愛知知多ボーイズから東邦に進み、1年春からベンチ入り。長打力を備える三塁手として主軸を打ち、高校通算は選抜決勝までで45本塁打。昨秋から投手を兼任し、最速144キロ。185センチ、81キロ。右投げ右打ち。