今日1日から新元号「令和」が始まる。日刊スポーツでは「令和に誓う」と題し、新時代を担うスター候補に迫っていく。第1回は、高校野球歴代最速163キロを誇る大船渡(岩手)・佐々木朗希投手(3年)。

平成最終日の4月30日は、角館(秋田)との練習試合に出場した。明日2日は、今年初の公式戦に出場予定。三陸海岸に生まれ、日米のプロから最大級の注目を浴びる右腕は、東北悲願の「白河の関越え」にも挑み、令和の幕を開ける。【取材・構成=鎌田直秀、金子真仁】

   ◇   ◇   ◇

佐々木の存在は平成最後の練習試合でも際立った。4番DHで先発すると初回1死一、三塁、左中間に2点適時二塁打。3回の第2打席は投安で出塁し、二盗で俊足も披露した。5回は三振も、3打数2安打2打点1盗塁。登板はなかった。ピンクの桜の花が雨にぬれる中、真っ白なユニホームは泥だらけ。家族を、仲間を、野球を愛し続けてきた男の笑顔は輝いていた。

01年(平13)に岩手・陸前高田市で産声を上げてから17年半。甲子園経験はないが、学校近くのスーパーで好物のアイスを購入しても「朗希さんですよね」と声をかけられるヒーローに成長した。190センチの体を少しかがめながら、切れ長の目で優しくあいさつする姿は、地元民からも愛されている。

84年春夏連続出場を果たして春4強だった「大船渡旋風」再現を期待されている。当時のメンバーも佐々木と同じ大船渡一中出身者が中心。11年の東日本大震災では野球部の先輩たちも甚大な被害を受けた。隣接する陸前高田市で生まれ育った佐々木も、父功太さん(享年37)を津波で亡くしている。大船渡移住後、母や2人の兄弟らと支えあって懸命に生きてきた。

県内外の強豪私学からの誘いも「母や弟も支えたいですし、地元で甲子園に行きたいので」と断った。「自分が育った場所ですし、兄も同じ高校なので、兄の分も勝ちたいと思いましたし、最適な場所。地元も岩手や東北も元気づけることができると思うし、それが自分たちの役目だと思っている。結果が一番の恩返しになる」。

同じ岩手から育った花巻東の大谷翔平(現エンゼルス)菊池雄星(現マリナーズ)らを超える期待も背負う。2人でもつかめなかった甲子園の優勝旗。第1回夏の甲子園準優勝の秋田以降、東北勢は春夏計12度、決勝で敗退。「チームとして甲子園に行くことが目標なので、甲子園で優勝できるかどうかは分からない。自分たちが初めて優勝旗を持って来られたら、すごく良いと思う」。何度も耳にしてきた「東北悲願の大旗白河越え」の夢は、今夏の最大目標だ。

平成最後のヒーローからも、元号を超えてタスキをつながれた気持ちもある。昨年6月の練習試合で同じ公立の金足農(秋田)と対戦。150キロ超の直球で吉田輝星(現日本ハム)から3球三振を奪った。だが、昨夏の岩手大会はボート部からの助っ人2人を含む11人の西和賀に、まさかの2-3。1番中堅でフル出場も、投手としては温存されたまま3回戦敗退。悔しさの中、希望の光が見えたのが「カナノウ旋風」だった。「すごくチームワークが良くて、一生懸命な姿が印象的。自分たちも同じように頑張れば(甲子園に)行けるのかなと思いました」。今年も6月下旬、夏前の総仕上げの一戦として金足農と練習試合が予定される。

佐々木の心理は、中学で一緒にプレーした仲間を誘い、父が甲子園出場を逃した母校を選んで夢舞台をつかんだ吉田の選択と共通する部分もある。「私立に勝つことに意味がある。この仲間と甲子園に行くことの方がすごく難しいこと。その中で行けた経験は、これからの自分にもチームにもすごく良い力になると思う。そういう過程、過去を作れるように一緒に頑張りたい」。地元選手だけで戦った躍進は、力を与えてくれた。

昨年は全国的に無名ながらU18高校日本代表1次候補選出も、落選。今年4月の同代表候補合宿には星稜・奥川恭伸投手(3年)らと並んで注目を浴びた。昨秋までの自己最速を6キロも更新し、受けた捕手の左手も負傷させる快速球で「怪物」の称号を確固たるものにした。注目度は一気に世界級。「刺激になりましたし、普段の取り組みなどの意識も高まった。でも、このままじゃ甲子園に行けないとも実感しました」と向上心を増した。練習試合には米メジャー10球団を含む日米スカウトが殺到。将来の選択肢も広がってきた。

被災地の県立高で甲子園出場。悲願の白河越え。日米の球団から熱視線を注がれるプロ入り。日の丸を胸に戦う20年東京オリンピック(五輪)や、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)などの日本代表エース。1歩ずつ怪物への階段を上る夢をも、かなえてしまいそうだ。「昭和」「平成」と誕生してきた怪物たちをも超越するスケール。「令和」の新スターには、前例のない世界に突入する無限大の期待が膨らむ。