鳥取城北がサヨナラ負けを喫し、交流試合を白星で飾ることができなかった。

1点リードの9回2死一、二塁の場面で、7~8回に登板していた阪上陸投手(3年)が再登板した。勝負が決まる決定的な場面で、明徳義塾の4番新沢颯真内野手(3年)に投じた直球は、右越えのフェンス際にはじき返され、2者がかえって試合終了となった。「アウトコースギリギリを狙ったが甘く入ってしまった。(背番号)1をもらって、最後の大舞台で力を出せなかったのは悔しい」と相手チームの校歌を聞きながら涙を流した。山木博之監督(45)は「結果はああなったけど、人生は悔しい失敗もしていかないと。よくやったと思う」と評価した。

兵庫・伊丹市出身の阪上は中2の冬、尿細管間質性腎炎を患った。練習中、左手を骨折をした際、処方された痛み止めの薬が体に合わず、腎機能が低下した。約3カ月間の入院。寝たきりで、トイレも自力ではいけなかった。食事制限のため絶食。体重も20キロ減った。野球からも約4カ月間、遠ざかった。大阪の強豪校への進学を目指していたが断念。そのときに声を掛けたのが山木監督だった。「『ハンディがあっても』という話をいただいた。体の面でも理解してくださった。だから、必ず甲子園という気持ちでやってきました」と感謝の気持ちをにじませた。

退院後も塩分の制限、投薬を続けた。大会前に投薬は終わったが経過観察のために月に1回は鳥取から阪大病院へ通院を続けている。「家族であったり、いろんな人に支えられた。感謝の気持ちを伝える投球をしたかった。甲子園で投げられたのはありがたい。おやじとおかんには今日電話して『今まで野球をやらしてくれてありがとう』と伝えようと思います」と語った。

交流試合の前には入院していた当時のことをよく思い出していたという。自分より年下の子供が絶食で「おなかがすいた」とずっと言っていたことを明かし「そういう人たちにも、こんな俺でもやれるんだというのが届けられたらと思います」と語った。

困難を乗り越えた先で夢の舞台に立った。試合には敗れたが、それをバネにして卒業後も大学で大好きな野球を続ける。【南谷竜則】