北北海道大会は11日、決勝が行われ、クラークが旭川龍谷を10-0で下し、甲子園に出場した16年北大会以来の道大会制覇を果たした。打線は14安打で10点を奪い、投手陣も辰已、浦崎の無失点リレーで完勝した。昨夏まで2年連続北大会決勝で敗戦。今夏は地区から6試合で88安打、計63得点という破壊力がある攻撃で、昨秋地区敗退後の主将交代、コロナ禍による大会中止など、壁を乗り越えリベンジを果たした。

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喜びがはじけた。エース浦崎が最後の打者を三振に切って取ると、ベンチの選手も一斉に飛び出し、マウンド上で跳びはね、人さし指を突き上げた。初回に野坂主将の遊撃内野安打と相手失策などで2点を先制。最後はベンチ入り18人全員が出場し、勝利をつかんだ。野坂は「この瞬間のために全員で必死でやってきた。勝って終われて本当にうれしい」と喜んだ。

2人の主将を中心に、どん底からはい上がった。昨秋は地区代表決定戦で滝川西に敗れ、チームの目標を「日本一」から「地区突破」に下方修正。16年甲子園出場の栄光はいったん白紙にし、1戦必勝の気持ちを思い出すことを最優先した。さらに11月に右肘を手術し長期離脱した松林前主将に代わって、代走要員だった野坂が新主将に任命された。

補欠だった野坂は「自分が試合に出ないと、みんなはついてこない」と、他の選手が冬場に体重を増やす中、武器の俊足を生かすため、体重を8キロ落とし64キロまで絞り込み、レギュラー奪取。別メニュー調整だった松林は「選手会長」となり野坂の相談役となった。

だが、雪辱を期した春季大会はコロナ禍で中止。全員寮生活のため、甲子園中止が決まる前に寮内で「夏の甲子園はない」という空気がまん延していた。野坂は「自主練習に取り組む気持ちが日に日に落ちていった」。3年生が秋からの新チームを気遣い、数日間1、2年生の練習補助に回ることもあった。

夏の選手権中止が決定した5月20日、佐々木達也部長(36)から代替大会の方向性を聞いた野坂は「努力はやめちゃいけない。最後まで悔いを残さないようにやろう」と全部員を鼓舞。対外試合ができない間、3チームに分け毎週末リーグ戦を行い、選手同士でサインを出し、自主的に試合勘を磨いてきた。

迎えた夏の決勝、猛打のチームの中、野坂は内野安打3本でかき回し、決勝点も演出した。この日は、スタンド観戦していた元甲子園球児の父雄昌さんの47歳の誕生日。「内野安打だけど…プレゼントになったかな」。松林は9回に代走出場を果たし「不安を抱えながら、野坂がよく引っ張ってくれた。感謝です」。2人のリーダー、ナインの絆が、特別な夏を制する原動力となった。【永野高輔】

◆クラーク 正式名称はクラーク記念国際高校。スポーツコース・硬式野球部のある北海道深川キャンパスはじめ、全国に直営キャンパスがあり、生徒数約1万1000人の広域通信制高校。野球部は14年創部で3年生15人、2年生12人、1年生13人の計40人。卒業生にソチ五輪スノーボード銀メダリストの竹内智香(36)。

▽クラーク・三浦雄一郎校長(87)「どんな困難や不自由を強いられていても、私どものモットー「夢・挑戦・達成」をかなえてくれた。これは必ず未来へとつながります。ありがとう」

▽クラーク・佐々木啓司監督(64)「いろんな意味で大変な年だった。集団生活、勉強、練習と、うまく両立していいチームになった。いい投手がたくさんいた中で、打者が工夫してよく打ってくれたよ」

▽クラーク・辰已(先発し7回被安打3、7奪三振無失点と好投)「打たせて取ることを意識して投げた。連投の疲れはあったが、最後なので力を出し切った。コロナ禍の中、大会を開催してもらい、感謝の思いでいっぱい。この経験を今後の人生に生かしたい」

▽クラーク3番金原(13打数7安打7打点と活躍)「甲子園まであと1歩という先輩たちの姿を見てきて、悔しさはどの代よりも強かった。甲子園がなくて悲しかったけど、独自大会優勝のために全力でやってきた」