旭川大高の背番号10、中筋寛太投手(3年)は役目を果たしたが、甲子園には届かなかった。

4回から2番手で登板し2回2安打無失点。4投手で継投し、ただ1人無失点と踏ん張った。「勝ち越した後だったし、何とか流れを持って来られた。自分の武器のカーブを生かして、しっかり投げられた」と目頭をおさえ、声を絞り出した。

OBの兄大介(仙台大3年)は18年甲子園出場時の正捕手。前日とこの日の朝、2日連続で「あと2つ。最後は技術どうこうじゃない。気持ちだ」とメールが届いた。「勝てなかったけど気持ちで投げることはできた。兄との約束は果たせたと思う」と顔を上げた。

中3年だった18年夏は兄を、高校入学後の19年夏は2学年上の広島持丸らを聖地のスタンドで応援。3大会連続の聖地を逃し「つなぐことができなくて本当に悔しい。大学でも野球を続け、この無念を晴らしたい」と最後は、強い口調で話した。【永野高輔】