北北海道の決勝で、帯広農が帯広大谷を19-2で下し、39年ぶり2度目の甲子園切符をつかんだ。先発全員安打&得点&打点をマークし、決勝戦の史上最多19得点で大勝した。昨年のセンバツで21世紀枠に選出されたがコロナ禍で中止。夏に代替開催された甲子園交流試合に出場し、今年は「勝って再び甲子園へ」という意味の「再甲」をスローガンに掲げ、75チームの頂点に立った。

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帯広農が、勝って聖地への切符を奪取した。センバツ21世紀枠選出で与えられた昨夏の甲子園交流試合とは違う。正真正銘、北北海道王者となって、つかみ取った。前田康晴監督(45)は「センバツ中止でみんな悔しい思いをした。交流試合という貴重な経験をさせてもらったのだけれども何か悔しかった。この夏こそ、という思いでやってきたので」と声を詰まらせた。

昨夏の自信が土台になった。地区から6戦連続2桁安打で計90安打(1試合平均15)。先発全員安打&得点の準決勝に続き、決勝戦も先発全員安打、得点、打点と打順問わずに打ちまくり、決勝最多の19得点。佐伯主将は「去年の夏に甲子園で戦い、長打をたくさん打てなくても全国でやれることが分かった」。バットをボールに水平に当て、力まず二塁、遊撃の頭越しに強いライナーを打ち返す。聖地で高崎健康福祉大高崎(群馬)を破った打線をさらに進化させ、夢を果たした。

工夫をこらした心の鍛錬も力を発揮する要因になった。支えてくれる人たちを喜ばせるという意味で「他喜力」を鍛えようと今春からの課題に加えた。6月末に前田監督は「母親の手を触ってみるように。どれだけ苦労して支えてくれているか分かるはず」と指示を出した。実家が様似町の西川は北大会準々決勝後に帰省。「僕より硬くて、世話になっているのを感じた。何としても恩返しがしたかった」。現在、長沼に住む祖母が入院中で「甲子園でヒットを打ち、次は祖母を元気づけたい」と意気込んだ。

今年のスローガンは「再甲 帯農Revolution21」。全員で定めた21個の約束事を徹底し、再び甲子園に行くという目標を実現させた。佐伯は「2年ぶりに行われる甲子園大会に出られてうれしい。今度は2勝を目指したい」。新たな目標を定め、心も体も、より磨きをかけていく。【永野高輔】

▽1年生で4打点を挙げた帯広農・干場 (甲子園では)緊張して体がかたくなっても意味がない。リラックスして思い切りプレーしたい。

 

◆帯広農 1920年(大9)に十勝農業学校として創立された道立校。生徒数は583人(女子200人)。野球部は1926年(昭元)創部。現部員は51人(マネジャー3人)。甲子園は82年夏、昨夏の交流試合に出場。主な卒業生は東京五輪で4度目出場の自転車マウンテンバイク山本幸平、16年リオデジャネイロ五輪女子7人制ラグビー代表の桑井亜乃ら。所在地は帯広市稲田町西1線9番地。大関俊郎校長。

▼帯広農が夏の決勝最多得点(中等学校優勝大会時代および南北分離前含む)を更新する19点をマーク。これまで、北北海道は70年に北見柏陽が名寄を15-1で破ったのが最多だった。南北海道も15点が最多で、07年駒大苫小牧(15-0函館工)、18年北照(15-2駒大苫小牧)が記録。59年の南北分離以降、決勝以外の最多は南北海道の17年1回戦の22得点(札幌日大22-2恵庭北)。北北海道は90年1回戦の20得点(帯広南商20-0名寄)。

◆帯広農の甲子園 夏は82年に初出場。初戦の2回戦で益田(島根)に2-5で敗れた。9回表の守備で「1イニング4アウト事件」があった。春のセンバツは20年に21世紀枠で選出されたが、コロナ禍で大会中止となり、同年夏の甲子園交流試合に出場。高崎健康福祉大高崎(群馬)に4-1で勝利した。