教え子の全力プレーをしっかりと目に焼きつける。第94回選抜高校野球大会(18日開幕、甲子園)に21世紀枠で出場する只見(福島)は大会第4日の21日、大垣日大(岐阜)と対戦する。メンバー入りした選手13人のうち9人が只見中出身。同中赴任4年目の渡部兼介監督(33)が、指導した当時の思い出を振り返り、自身も憧れた甲子園の土を踏む選手へエールを送った。

あの子たちが、甲子園に行く-。センバツ出場校が決まる1月28日。渡部監督は雪が降る中、教頭とともに雪かきの道具やつるはしを使って雪割をしていた。午後3時過ぎ。奥会津に吉報が届いた。「(出場が)決まったときはうれしくて…。驚きもありました」。自身は相馬高(福島)で白球を追いかけ、東学大でプレー。かつて自分も夢見た舞台で教え子がプレーする瞬間を想像し、笑顔になった。

同大卒業後は都内の中学で勤務し、4年前から只見中の教壇に立った。当時の2年生に吉津塁主将(2年)らがおり、18年7月、上級生の引退に伴う世代交代で前任から監督を引き継いだ。新主将の選定は「自分たちのキャプテンなんだから、自分たちで決めるように」と伝え、大竹優真投手(2年)が主将、吉津が副主将に就任した。

野球を楽しむ姿が心に残っている。部員は昼休みになると、ボールとグラブを持って校庭へ。約40分間、守備や投球練習をしていたという。渡部監督は「部活動以外の時間でも野球を楽しみながらやることが伝わってくる子たちでした」。グラウンドが使用できない冬は、学校の地下にある屋内のスペースや階段をダッシュ。土日は、ほかの部と練習場所が重なることを防ぐため、近隣にある小学校の体育館で練習した。

20、21年に同中を卒業した教え子が主力でつかんだ甲子園出場。渡部監督は選手の家族らに祝福の連絡。その際に山内友斗捕手(2年)らと話ができた。「甲子園は野球をやっている人なら全員憧れで、信じられないけどすごいなと…。山内は中学の時に4番だったので、ホームランボールをお土産にと。第1号は自分で持っていていいから、第2号はくれと話しました。最低2本打てよと(笑い)」。

初戦は21日。大垣日大(岐阜)と対戦する。新型コロナウイルスの状況によるが「チャンスがあれば応援に行きたいです」。たとえ現地に行けなかったとしても、テレビ中継を見て応援するつもりだ。

渡部監督 一生にあるかないかの素晴らしい機会をいただいているので、とにかく全力で。中学校の時にやっていた、笑顔で楽しむことを甲子園でもやってほしいです。見てきたこっちもそれが伝わってきたし、周りも楽しませられるぐらい、甲子園の舞台で野球を楽しんできてください。

最後まで諦めずに戦う姿を信じて、一投一打に注目する。【相沢孔志】

<亀井鮨伊藤均さん「帰ってきたらごちそうしたいね」>

福島・会津若松の老舗すし店の親方が、センバツ初出場の只見に熱烈エールを送る。只見町出身の伊藤均さん(74)は会津若松に「亀井鮨」を開業して53年。自身、甲子園出場を目指して高校は栃木の強豪・作新学院に進学したが、甲子園には届かなかった。それだけに「こんなにうれしいことはありません。只見だけでなく、会津の誇りです」と心から祝福する。

対戦相手の大垣日大は、昨秋の東海大会4強の実力校。伊藤さんは「注目の対決になったのではないでしょうか。ナインには気後れすることなく戦ってほしい」と実力を出し切ることを切に願う。9日、大阪に向けて行われた「出発式」の際にも、吉津塁主将(2年)に「打席では1回でも多く振ってこい」と激励した。「自分自身が甲子園に出てないのによく言いますよね」と笑った。

亀井鮨は会津に限らず、福島県内からも多くの客が詰めかける人気店だ。常連客の1人は「すしがうまいのは当然だけど、親方の人柄が最高」と話した。試合当日、伊藤さんはお店があるのでテレビ観戦だが「選手たちが帰ってきたらすしをごちそうしたいね。頑張れ」と優しい目で話した。