89年夏、仙台育英を初めて決勝に導いた竹田利秋元監督(81=現国学院大総監督)はこの日、自宅でテレビ観戦し、優勝の瞬間を見届けた。

「すばらしいです。複数のいい投手がいますし、本当にたくましい」と話した。

竹田元監督の時代は初戦を東西対決とする抽選方式で、東北の代表を引き当てた相手校は大喜びしたという。反発するでもなく、おとなしい選手たち。メンタル面からの強化を図ったという。夜、真っ暗な山の中に選手を連れだし、バット1本持たせて、おいてきたこともあった。「肝試しですよ。バットを振る子、歌を歌う子。いろいろいました」。選手には内緒で、陰からこっそり見守っていたらしい。

冬場には日本初といわれた水泳トレ、地下足袋を履かせる守備練習など、今では問題になるようなハードトレも組み込んだ。一方で高速道や新幹線の開通なども手伝い、他地域との交流が増え、徐々に強化されていったようだ。当時とは野球全体のレベルが違うといい、「そんな中で勝った。みごとな優勝です」。壁を破った選手をたたえた。

 

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