今夏最大のダークホースとなった下関国際。その立役者は仲井慎投手(3年)だった。遊撃の守備から度々救援としてマウンドへ。準々決勝の大阪桐蔭戦では6回2死満塁で登板し、空振り三振でピンチを脱した。以降3回も三重殺などで無失点に抑え、王者を封じた。打撃でも中心を担い、今大会打率3割。投打で存在感を見せ、U18日本代表にも選ばれた。高校球児のトップレベルにまで成長した仲井の原点を追った。

中学時代、兵庫北播リトルシニアで指導した藤本貴久監督(60)は教え子の投球を「あの子はどっちかというと横投げ。自然とカット気味に投げることを覚えているんですよ」と語る。「直球の軌道」を指導したという中学時代。右打者の内角にはシュート気味に食い込むように、外角にはカット気味に逃げる軌道の意識を持たせることで球質に変化が生まれるという。「145キロでも打たれるピッチャーは打たれる。球の速さではない。この軌道で投げるから打てない」。140キロ超ながらバットの芯を外す直球の軌道が快投を生んでいた。

打撃では右脇が開く悪癖で「ライトにポテンヒットしかいかなかった」という。藤本監督は中学1年時から「右翼に柵越えできるまで」を条件に左打者転向を指示。初めは空振りやチップ連発も徐々に打球の質が上がり、左翼から中堅、右翼へと打球方向にも変化が表れた。3年春には右翼越えを放つレベルに到達したが、ここで右打者への再転向を指示。すると2年前の癖は消え、右打席でも左翼へ柵越えを打てるようになったという。「2年間ずっと左で振っているから癖が抜けている。そこからがスタートだった」。今夏最後の打席も左前安打となった。3年がかりの打撃指導が打者仲井の礎だった。

多くの感動を呼んだ仲井の躍動。藤本監督は「持っているもの以上のここ(気持ち)があるから(結果が)出ている」と胸をたたく。その一球一打の原点は恩師との二人三脚の日々だった。【波部俊之介】