大分大会決勝は、明豊が大分商に3-0で快勝し、3年連続9度目の甲子園出場を決めた。エース右腕の中山敬斗投手(3年)が2安打完封。昨年11月に不慮の事故で当時2年生だった吉川孝成(こうせい)捕手を亡くした。ナインは並々ならぬ覚悟で夏に臨み、県勢初の3連覇を成し遂げた。

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亡き仲間を思い、明豊ナインの誰もが泣いていた。3-0の9回2死。エース中山は最後の打者をスライダーで空振り三振に抑え、スッと天を見上げた。「孝成。一緒に甲子園に行けるな」。決勝の大一番で9回119球の完封。歓喜の輪の中心で目を潤ませた。

現実を受け止めることはできなかった。新チームが始動した昨夏。宮崎遠征で吉川さんの鎖骨にファウルチップが直撃。意識を失い、その場で倒れ込んだ。約3カ月後。11月5日に息を引き取った。主将の西村元希(げんき)外野手(3年)は「何が起きているのか…。仲間を失う悲しみ、苦しみ。主将として、どうしたらいいのか分からなかった」。チームメートの訃報にその場の誰もが耳を疑い、頭は真っ白になった。

悲しみのチームに負けられない強い覚悟が芽生えた。「孝成と一緒に甲子園行くぞ」。準決勝の大分舞鶴戦は遊撃手の西川昇太(しょうた)内野手(3年)の失策が絡むなど、6回に1点を先制された。ベンチで落ち込む西川に周りの選手らはこう声をかけた。「大丈夫や。俺らには孝成がついてる」。0-1の8回1死二塁で西川は起死回生の同点適時三塁打を放った。その場面を「孝成に助けられた一打だった。孝成に打たしてもらったと思う」と振り返った。

西川と吉川さんの2人は中学時代から大阪・藤井寺ボーイズでともにプレー。「甲子園出場」を夢見て、明豊の門をたたいた。西川は「孝成とは中学1年から一緒に野球して、遊んだりもしていた。孝成の分もと思う気持ちは強い」と言う。

本来は正捕手を争うはずだった義経豪(よしつね・ごう、3年)は吉川さんの母久美さん(44)に、毎日欠かさずにラインを送る。たわいもない日常、試合の報告を長文でつづってきた。義経は「チームの状況であったり、学校の行事のことを孝成には報告したいと思って…。いつも一緒に戦ってくれている」。久美さんは仏壇の前で亡き息子へ報告する。「豪君からラインきたよ」。

優勝の瞬間、西村主将は「ありがとう。孝成」と心の中でつぶやいた。スタンドから、笑顔の吉川さんの写真が見守っていた。「孝成がいてくれたから、孝成の存在があったから勝てた。孝成も一緒に戦ってチーム一丸での優勝」と涙目で胸を張った。

悲しみは強固な結束力となり、県勢初の大会3連覇を成し遂げた。「孝成と甲子園で一緒に戦える。それが幸せです」と西村主将。亡き友とともに挑む夏は、聖地での第二章に続く。【佐藤究】

○…吉川孝成さんの母久美さんは今大会5試合すべてを現地で見届けた。初戦の2回戦から準々決勝までは大阪から通い、亡き息子の思いも胸にナインへ声援を送った。今年5月のゴールデンウイークのことだった。明豊のグラウンドに行くと、選手たちから母久美さんの元へと歩み寄ってきた。「子どもたちがすごい笑顔で私の方に来てくれて。最後の夏『応援に行こうかな』と思って。孝成もそれを望んでいると思った」。ナインも孝成さんと一緒に戦い甲子園出場を果たした。「みんなが『孝成のために』とか、『孝成と一緒に甲子園行く』って言ってくれたことが、すごくうれしくて…」と目を潤ませた。

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