青森山田が中央学院(千葉)に2-5で敗れ、春夏通じて初の4強入りを逃した。先発した桜田朔投手(3年)が4回途中5失点と試合をつくれず。初回、先頭打者に四球を与え、2回には自身の暴投や連打などで3失点。4回に左越え2点適時打を浴び、1-5となったところで降板。以降はエース右腕・関浩一郎投手(3年)が無失点投球も、打線がチャンスをものにできず14残塁の拙攻。4回途中5失点の桜田は試合後、悔し涙を浮かべた。

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「自分のせいで負けてしまった」。桜田の口をついて出るのは反省ばかりだった。「気持ちも弱々しくて、真っすぐに全然気持ちが乗っていなかった」。マウンド上での弱々しい投球は野手のエラーにもつながった。自責点は「2」だが、「悪い流れをつくってしまったのは自分。自分がすべて悪いと思っています」。全責任を背負うかのように重い口調で振り返った。

後を託した関には何も言えなかった。普段からご飯の量やトレーニングで競い合うライバルは、1死二塁での登板もわずか4球で2死を奪ってピンチを脱すると、以降は散発3安打無失点。「『0』で抑えてくれた。さすがだなと思います。僕のせいで負けてしまったので、やっぱり関の方が上だなと思っています」。競い合う相手を上だと認めてしまうほど、ふがいない投球だった。「やめたいっす…」。桜田はぼそっとつぶやいた。

これまでも野球をやめたいと思ったことがある。中学時代にはリトルシニアでのエースの重圧や周りとのレベルの差、自身の体が細かったこともあり、自信をなくしていた。それでも野球と向き合い続け、21年夏にはリトルシニア日本一に輝いた。高校でも日本一を目指し、青森山田へ。しかし、高1の時にひじの痛みで右腕が上がらなくなった。クリーニング手術をしたが、今度は野球ができないことに投げやりな気持ちになって、落ち込む日々が続いた。

だが、その時期があったからこそ弱い自分と向き合うことができた。自分には努力が足りないと感じ、「もうやるしかない」と思えるようになった。

報道陣がいなくなってから、糸が切れたように座り込んで泣いた桜田。悔しくて悔しくて仕方がない春になった。だが、こういった局面から何度も立ち上がってきたのも事実だ。夏に向けて「何も見えないです」と言いながら、「勝ちたいです」と力強く言った。4月生まれで、名前は「さくらださく」。春に笑顔の桜を咲かせることはできなかったが、この代にはまだ夏がある。夏こそは笑顔の「さくらがさく」はずだ。【濱本神威】