創部1年目の99年夏。初の公式戦で0ー34。あのときからそばで支え続けてきた人物がいる。後援会長の金安一(キム・アンイル)さん(82)だ。創部初の決勝戦に進んだ選手たちを見届けて、「信じられない」。待ちわびた舞台に喜びもひとしおだった。

まだ京都韓国学園だった90年代後半。新入生が2人しか入学しない世代もあるなど、学校自体の存続も危ぶまれるほどだった。「グラウンドがガラガラで、誰も何もしていない。これはだめだと。何かクラブ作ろうという話をしていた」。そんな中、野球で町おこしをした日高高中津分校(和歌山)が97年センバツに出場。一筋の光が差し込んだ。「これだ!」。野球部の設立を決断した。

ただ、道のりは平らではなかった。当時はまだ学校教育法第1条に認められた「1条校」ではなく、資金も潤沢ではなかった。その上、当時の理事長から「金食い虫のクラブ」と反対を食らった。だが、当時副理事長で野球経験者だった金さんが押し切った。資金集めに奔走し、自らも含めて関係者から費用を捻出。寮を設置するなど、環境を整えていった。

創部当時は野球経験者も数えるほど。「打って三塁に向かって走った子がいた」と振り返る。日韓両国から認定を受けて軌道に乗った。甲子園には21年センバツに初出場。そして、創部26年目で夏の頂点へと上り詰めた。【林亮佑】