<2001年8月23日の日刊スポーツ紙面から><全国高校野球選手権:日大三5-2近江>◇22日◇決勝

 21世紀最初の夏、日大三(西東京)が強打で初優勝を飾った。2回に先制すると、7回に4番原島正光外野手(3年)が貴重な4点目の左前打を放った。終盤に追加点を奪い、継投策の近江(滋賀)に10安打で打ち勝った。エース近藤一樹投手(3年)も2失点完投と投打がかみ合った。大会通算打率は新記録の4割2分7厘となり、強力打線は最後まで衰えなかった。

 

 日大三が強打で史上最多、全国4150校の頂点に立った。9回、最後は都築二塁手がゴロをしっかり捕って一塁に送球。「春の三高」が「夏の三高」になった瞬間だった。優勝の原動力となった主砲原島が、右翼から両腕を天に突き上げて三塁側ベンチ前へ走る。すでに白いユニホームは重なり合っていた。「最高にうれしい。何が何だか分からない」。大会新のチーム打率4割2分7厘に「本当ですか。記録に名前が残りますね」と笑顔を見せた。

 4番のバットは決勝でも快音を響かせた。2回に内野安打で出塁し、先制のホームを踏んだ。6回は中前に会心のヒット。7回2死一、三塁では非凡なセンスを見せつけた。「直球狙い」で来た球はスライダーだった。それでも「勝手に体が反応した。無心でバットを振った」。体勢を崩しながら絶妙のバットコントロールで左前に落とした。コースに逆らわず、左右に打ち分ける。「左の方が良かった」と左腕もお構いなしで貴重な4点目を入れた。近江の3本の矢を苦にせず、3安打の活躍だ。

 プロ注目の身長180センチ、体重85キロ、胸囲107センチのパワーあふれる体だが、繊細な神経をしている。大会6戦すべての試合前取材を長そでで受けた。「カゼをひいたら大変」と万全の体調管理だった。後輩の野崎内野手が不振のときには「おれの運をやる」と自分のベルトを貸し、スパイクを磨く優しさを見せた。

 チームの強打の秘密はスローカーブでの打撃練習にある。自分のタイミングを確かめるためとフォーム固定のため、あえて遅い球を打っている。原島は「球の軌道がよく分かる。役立ちました」と振り返った。76年の東京・赤坂から町田市への学校移転と同時に1万3988平方メートルのグラウンドが完成、現在では3階建て合宿所がある。野球場は両翼95メートル、中堅126メートル。選手は恵まれた環境でバットを振り込んできた。

 センバツは4失策で3回戦敗退。「悔しさを乗り越えることができた」と原島はいう。「夏に強い三高」の歴史は、この日から始まった。【栗原弘明】