<高校野球沖縄大会:糸満2-1中部商>◇17日◇決勝

 全員一丸で悲願の甲子園切符だ。全国で最初に決勝が行われた沖縄大会で、糸満が中部商を逆転で破り、初の甲子園出場を決めた。エース山城翼投手(3年)が10安打を許しながらも1失点。守備に助けられ、5回にスクイズであげたリードを最後まで守りきった。昨夏は、巨人にドラフト2位で指名された宮国椋丞投手(19)を擁して決勝に進出も、興南に敗れた。飛び抜けた選手はいないが、チームワークで激戦の沖縄大会を制した。

 夢にみた瞬間がとうとう現実になった。最後の打者を打ち取ると、マウンドに糸満ナインが集まる。満員のスタンドからは歓声と、拍手と指笛が飛び交った。興南が甲子園出場を決めた瞬間を、ベンチから涙で見つめてから1年後。通算3度目の決勝で、悲願の甲子園切符を手にした。

 「粘り強く、粘り強く、粘り強くよく頑張りました」。上原忠監督(48)は「粘り強く」を何度も繰り返した。準決勝で146球を投げたエース山城は連投で1回に1失点。10安打を許し、4回以降は毎回走者を背負いながら、2回以降はホームを踏ませなかった。9回1死満塁のピンチでは守備に助けられ、併殺で締めくくった。

 「バックを信じて投げました。守備は冬に徹底してやったので自信はあった」。ツーシームでゴロを打たせ、併殺に打ち取る守備隊形は選手で決めた。「最後は選手に任せた」と上原監督。全員の意思統一で最後のヤマ場を乗り切った。決勝点は5回、4番上原佑介内野手(2年)のスクイズ。主役はいないが全員で勝利をもぎ取った。

 3度目の挑戦で甲子園への扉を開いたのは上原監督が言う「野球のヘタクソな田舎の子たち」だった。1学年上は、宮国という絶対的なエースを中心に技術の高い選手が集まっていた。だが、今年は身体能力は高いが、技術のない選手ばかり。上原監督は昨夏の新チーム結成時から、練習ではほとんどボールを持たせなかった。

 毎日毎日、ひたすら長距離、ダッシュ、体幹トレーニングを繰り返して基礎体力をつけ、ボールを使った練習はこの冬から始めた。「毎日トレーニングばかりで本当に強くなれるのかと思ったこともあった」と宮城拓幸主将(3年)は振り返る。それでも「体力をつければ最後の夏に勝てる」という上原監督の言葉を信じてきた。

 持ち味は粘りと機動力。「みんなで粘り強く守るチーム。甲子園で校歌を歌うのが目標です」と上原監督。昨年の興南に続き、今年の甲子園の主役になれるかどうか。【前田泰子】

 ◆糸満

 1946年(昭21)創立の県立普通校。普通科のみで生徒数は1069人(女子は528人)。野球部は創立と同時に創部。県大会準優勝が2度あるが、甲子園は春夏通じて初出場。部員は85人。野球部OBに元沖縄水産監督の故栽弘義氏、宮国椋丞(巨人)らがいる。所在地は沖縄県糸満市糸満1696の1。森山和則校長。

 ◆Vへの足跡◆2回戦3-1宜野座3回戦6-2知念準々決勝8-1名護準決勝6-4沖縄尚学決勝2-1中部商