<高校野球新潟大会:日本文理2-1新潟明訓>◇30日◇決勝

 日本文理がライバル新潟明訓に延長10回、サヨナラ勝ちし、2年ぶり6度目の夏の甲子園出場を決めた。初回に先制を許したが、5回に湯本翔太外野手(3年)の適時三塁打で同点。10回に昨夏の決勝敗退の悔しさを知る野口竜義二塁手(2年)がサヨナラ打を放った。昨秋、今春、今夏と3季連続の県完全制覇で、春夏連続の甲子園出場。大井道夫監督(69)は夏の新潟大会100勝目となった。

 苦しんだ大本命の日本文理が最後に笑った。毎回の14安打を放ちながら16残塁。延長10回も無死二塁を犠打失敗でつぶしかけたが、新チーム結成から県内無敗のナインはあきらめず攻めた。「監督からこの回で決めろ、と言われてました」と秋山将輝主将(3年)が左前打でつないだ2死一、三塁で、ここまで4打数3安打の野口が奮い立った。「(3ボールから)勝負されて、結局はオレが決めるしかないと思いました」と1ストライク後の高めを強振。右中間への一目で分かるサヨナラ打で、因縁のライバルに引導を渡した。

 チーム、そして野口にとっても1年前の雪辱戦だった。同じ決勝で新潟明訓に逆転負けで連覇を阻まれた。1年でスタメン出場の野口は1イニングに3失策で、敗因をつくった。実は慣れない人工芝の照り返しで熱中症にかかり、プレーできる状態ではなかった。大井監督は「1年生だから(欠場を)言えなかったのだろう。気付かなかったオレの責任」と、栃木から初めて入部した同郷の後輩をかばった。今夏は準決勝まで2割3分8厘と本調子でなかった野口だが、「去年を忘れて、頭の中を真っ白にして打席に立てた」と4安打の固め打ち。「明訓にはやられていたので、今日は気持ち良く眠れそうです」と笑った。

 ベテラン監督も病み上がりの体にむちを打ってベンチに立ち続けた。春の県大会を制した直後の6月、急性膵炎(すいえん)と診断されて緊急入院し、地元開催の北信越大会で指揮を執れなかった。チームは決勝で2-0の9回2死走者なしから遊学館(石川)に逆転負け。チームは勝負の怖さを知るとともに、あらためて大井監督の存在の大きさに気付いた。

 86年秋から指揮を執り、素人集団を全国区の強豪に育て、就任26年目で夏の新潟大会100勝。昨年は直接対決に敗れ、新潟明訓・佐藤和也監督(54)の100勝目を見せつけられたが「このチームで(甲子園に)出られないと、笑われると思っていた」とお返しした。体調も回復し「目標は全国制覇。2年前のように打ち勝つ野球をお見せしたい」と、大井節に張りが戻った。09年は県勢初の甲子園決勝で惜敗。取り損なった優勝旗を奪いにいく。【中島正好】

 ◆日本文理

 1984年(昭59)創立の私立校。生徒数749人(うち女子324人)。野球部は84年創部、部員数は77人。甲子園出場は春4度、夏は6度目。09年夏には準優勝した。OBに阪神横山龍之介ら。所在地は新潟市西区新通1072。藤木国裕校長。

 ◆Vへの足跡◆2回戦7-0柏崎3回戦7-1小千谷西4回戦10-6帝京長岡準々決勝10-9村上桜ケ丘準決勝3-2中越決勝2-1新潟明訓