<全国高校野球選手権:光星学院2-1東洋大姫路>◇17日◇準々決勝

 原の夏が終わった。5年ぶり4強を目指した東洋大姫路(兵庫)は光星学院(青森)に惜敗。エース原樹理(3年)は5安打2失点で完投も、頂点に3勝届かなかった。進路は明言しなかったが、東洋大を経て、プロ入りを目指す見込みだ。

 原で終わった夏だった。1点を追う9回2死。打席に立ったエースは、初球のストレートを空振りした。ベンチを出る前、仲間から声をかけられていた。「またお前が最後の打者かもしれへんな」「フルスイングしてこいよ」。だから思いきりバットを振った。2年夏も秋も兵庫の敗戦は原が最後の打者。この日は遊飛を打ち上げ、二塁まで走り、仰ぎ見たのは甲子園の夏空だった。

 「夏前、高校生活もあっけないなと思っていました。でも甲子園に来て、3つも試合をやれた。力を合わせればどんなことにでも挑戦できるとわかりました」

 汗をぬぐったタオルハンカチで、試合後は涙をぬぐった。藤田明彦監督(54)に肩をたたかれ、こらえられなくなった。悔しさだけではない。仲間のために力を振り絞ったからこそ。高校3年間の財産だった。

 力投は実らなかった。援護は1点。5回1死一、三塁で併殺崩れの間に同点にされた。7回は1死二、三塁から遊ゴロの間に勝ち越し点を奪われた。「感情を制御できない」と監督に言われたかつての原ならいらだち、自分を見失ったかもしれない。今の原は違う。

 原

 7回は三振を取らないといけなかった。粘りきれませんでした。ただ今日は、思いをすべてボールに込めて投げました。

 遊撃の好守で支えた主将の中河は「体は細身ですが後ろから見ると大きく見える。ぼくらのエースですから」と胸を張った。

 原は進路について「夏のことだけ考えてきたのでこれから」と語るにとどめたが、東洋大進学が有力視される。エース藤岡貴裕(4年=桐生一)の後継候補として大学王者を支え、4年後のプロを目指す。

 藤田監督

 体をしっかり作っていけば、必ず球界を代表する投手になれる。

 敬愛してやまない恩師からのねぎらい。美しい立ち姿は、この夏の華だった。【堀まどか】

 ◆原樹理(はら・じゅり)1993年(平5)7月19日、兵庫・加古川市生まれ。野口南小1年から軟式の「TAKASHOクラブ」で野球を始め、中部中では軟式野球部に所属し、3年時に県3位。東洋大姫路では1年夏から背番号11でベンチ入りし、1年秋からエース。50メートル6秒5。遠投120メートル。178センチ、68キロ。右投げ右打ち。