関大野球部黄金期の監督で、高校野球の審判や解説者としても知られた達摩省一(だるま・せいいち)さんが3月13日、肝不全のため大阪市内の病院で死去していたことが分かった。79歳。日本高等学校野球連盟と関大野球部が18日発表した。葬儀・告別式は3月16日に近親者のみで営まれた。関係団体で近く弔意を表す会を行う予定。

 1936年(昭11)10月、石川県金沢市出身。67年から72年まで関大野球部監督を務め、リーグ優勝7度。72年には春秋リーグ、全日本大学選手権、明治神宮大会を制し、大学史上初の4冠を達成。同年の第1回日米大学野球選手権では全日本の監督を務め、山口高志投手(関大)らを擁して優勝した。

 エースだった寝屋川高時代は甲子園に出場できなかったが、65年夏に審判として甲子園デビュー。73年から日本高野連で理事、技術・振興委員長などを歴任。79年夏の箕島4-3星稜(延長18回)で三塁塁審を務め、14回裏に星稜が三塁走者を隠し球でアウトにしたプレーなどをジャッジした。