故障者が続くソフトバンク捕手陣の中、3軍から飛び級で1軍の第2捕手となった男がいる。

 今年高卒4年目の堀内汰門捕手(21)。14年育成ドラフト4位で入団。2軍通算出場3試合ながらオープン戦で最後まで1軍ベンチ入り。3月27日に支配下登録され、現在もベンチで出番に備えている。中学時代には不登校、高校も通信制から山村国際へ編入した。プロ野球選手としては珍しい経歴を、堀内本人が明かしてくれた。【取材、構成=石橋隆雄】

 捕手2人制のため、なかなか堀内の出番は来ない。

 堀内 試合終盤に、コーチから準備をしておくように言われるとドキドキします。オープン戦とは全然違う緊張感がある。早く1試合出てみたい。出ないとこの緊張感は取れない。

 キャンプインの時、今の状況は想像できなかった。2軍定着が目標だったのに1軍にいる。

 堀内 もちろん今年こそ支配下にとは思っていましたけど。こんなに捕手陣に故障が重なるなんて考えられません。サファテや岩崎さんの球はすごい。オープン戦では打席に立ってもバットに当たる気がしなかった。まだ楽しめるところまではいっていません。

 堀内の経歴は少し変わっている。中学の夏以降に不登校になった。

 堀内 中学は坂戸ボーイズでやっていたんですが、夏に肩を故障して投げられなくなって。強豪高校からも誘いを受けていたけど、野球はもうできない。野球より遊ぶ方がかっこいい、楽しいとなって…。警察沙汰になるようなことはもちろんしていませんが、先輩のバイクの後ろに乗せてもらったり、ピアスをいっぱいつけてみたり。『家出する』、『自分で働く』と家を飛び出したり。母親(裕希子さん=48)を泣かしてました。

 友達の家に泊まるなど2カ月ほどやんちゃしまくった。そんなある日、母が『1回ちゃんと話そう』と堀内少年を車に乗せた。

 堀内 子どものころよく練習したグラウンドに連れて行かれて、そこで『聞いて』と、いきなりカーステレオからファンキー・モンキー・ベイビーズの「おかえりなさい」が流れてきて。歌詞がその時の自分と重なって号泣しました。立ち直れたのは、本当に母親のおかげです。

 更生したが、野球を続けるつもりはなく通信制の高校に入った。更生したことを報告にいった坂戸ボーイズで、一緒に混ざって野球をした瞬間、眠っていた野球の虫が目を覚ました。

 堀内 肩は投げすぎて炎症を起こしていただけ。休んでいたので投げられた。俺には野球しかないと思ったことを覚えています。

 だが、すでに新学期は始まっていた。中学時代から注目してくれた山村国際が門戸を開いてくれた。新チームから入り、学校には2学期から編入した。無名の高校だが、野球部に力を入れだした時だった。

 堀内 俺たちで野球部を変えようと頑張りました。最後の夏、花咲徳栄と対戦して第1打席に左頬に死球を食らいました。でも、アドレナリンが出ていたので全然痛くなかった。

 最後まで試合に出て花咲徳栄を破る番狂わせ。ソフトバンクスカウトが見ていた。巨人、DeNAなども練習視察に来たが、根性にほれ込んだソフトバンクが一番熱心だった。育成4年目でスタートした今季、支配下を勝ち取った。

 堀内 母親には「ここからだね。日々、勉強だね」と言われました。関東での試合は見に来てくれるので、頑張りたいですね。

 ◆堀内汰門(ほりうち・たもん)1996年(平8)9月16日生まれ、埼玉県出身。山村国際3年夏は花咲徳栄を破るなど、同校初の16強入りに貢献。14年育成ドラフト4位で入団。3月27日に支配下選手として契約。背番号は「131」から「39」。推定年俸も270万円から500万円にアップ。捕球や二塁送球など守備面での評価が高い。175センチ、70キロ。右投げ右打ち。