広島新井貴浩内野手(41)が5日、マツダスタジアムで会見し、今季限りでの現役引退を発表した。16年にはリーグMVPを獲得した球界を代表するスラッガー。誰からも愛された男が、プロ20年目の区切りを迎え、惜しまれながらバットを置くことを決断した。

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阪神福留 1つ上の先輩ですけど、同じ年代で、年も近い。新井さんの一生懸命やる姿を見て来たので寂しい。あれだけの選手なので、下の者として、負けたくないと思ってやってきました。どんなときも、常に前を向いてやっている姿というのは、勉強になるし、やらないといけないことだと思います。カープの若い選手だけじゃなくてね、うちの若い選手のなかにも、一緒にプレーさせてもらった選手もいる。感じてほしいというのはある。

阪神鳥谷 一緒にやっていた方が辞めるのは寂しいですね。優しい人ですし、残念としか言いようがないです。

阪神藤川 新井さんが決めたことですし、ある程度のキャリア、年齢になったらいつでも隣り合わせでやっていると思うので。十分カープは強いし、新井さんのDNAは次の選手たちにつながっていると思う。

阪神江越(駒大野球部の後輩で背番号25を引き継ぐ)勝負強い打撃で、外野を守るのが嫌でした。少しでも近づけるように頑張ります。

元阪神監督・真弓明信氏(日刊スポーツ評論家)私が阪神監督のときは、最初から新井を4番で使いたいと考えていた。プレッシャーもかけただろうし、少し申し訳なかったという思いもあるよ。とにかく体が強い選手だし、長く現役をやれるとは思っていたけど、広島に戻ってからの活躍はうれしかった。残り試合も頑張ってほしい。しかし、柄にもなくカッコよく辞めるなあ(笑い)。

元阪神監督・岡田彰布氏 移籍1年目の08年は、3番として4番の金本につなぐ打撃を期待した。しっかり貢献してくれた。ただ、北京五輪での無理がたたって腰を骨折してしまって…。それがなかったら、阪神も優勝していたと思う。とにかく、お疲れさまと声を掛けたい。

桧山進次郎氏(阪神時代のチームメート、日刊スポーツ評論家)タイガース時代で思い出すのは、4番で苦しんでいたことですね。併殺打ったときとかのファンの叱咤(しった)激励のヤジに「桧山さんの4番のときはどうでしたか?」と聞かれたことがありました。「暗黒時代はもっと厳しかったで」と言いましたね(笑い)。タイガースではあまりいい思いはできなかったと思うけど、広島に戻ってからもこれだけ長くやれたのは、人一倍の努力と、タイガースでの苦労があったからじゃないですかね。