ロッテ福浦和也内野手が、日本プロ野球史上52人目となる通算2000安打の偉業を達成した。

8回無死、西武小川から二塁打を放ち大台に到達した。

97年にマリン球場で放ったプロ初安打から足かけ21年。93年のドラフト会議で最後の64人目(ドラフト7位)に指名された男が同じZOZOマリンで2000安打にたどりついた。

順風満帆ではなかった。習志野高時代、140キロを超える速球でならし、投手として入団したが、肩の故障で苦しんだ。そんな最中、山本功児元打撃コーチ(16年4月に他界)の勧めもあり打者転向を決断した。94年から3年間、1軍での出場はなかった。

のちに「幕張の安打製造機」と異名を取った広角打者の才能は、2軍での下積み時代に培われた。97年7月5日のオリックス戦でプロ初出場初安打。同年67試合に出場し一塁手でレギュラーの座をつかんだ。01年に打率3割4分6厘で初の首位打者を獲得。05年のバレンタイン監督政権下、不動の3番打者として31年ぶりの日本一に貢献した。

福浦は、06年まで6年連続3割をマークし球界屈指の好打者として君臨した。07年以降、腰痛など相次ぐけがに苦しんだ。1軍での出場試合数も徐々に減少した。98年から11年まで14年間、主力として100試合以上出場してきた福浦だが、16年はわずか36試合出場にとどまった。

それでも2000安打を目前にして、あきらめるわけにはいかなかった。満身創痍の体にムチを打った。12年からは苦難の道が続く。シーズン50安打に届かない安打数を大事に、1本1本、積み上げた。ロッテではもちろん、球界でも西武松井稼頭央と並ぶ球界最年長野手。42歳9カ月で達成した福浦が、42歳11カ月で達成した和田一浩(中日)に次ぐ、史上2番目の年長記録で金字塔を打ち立てた。

◆福浦和也(ふくうら・かずや)1975年(昭50)12月14日、千葉県生まれ。習志野高から93年ドラフト7位で投手としてロッテに指名された。入団後、肩の故障で打者に転向。初出場は、97年7月5日のオリックス戦(千葉マリン)に「7番・一塁」で先発。同試合でウィリー・フレーザーから初安打を記録した。01年に打率3割4分6厘で初の首位打者を獲得。10年に指名打者でベストナイン、03、05、07年に一塁手でゴールデングラブ賞を受賞。今季は内野手と1軍打撃コーチを兼任してスタートしたが、2000安打に集中するため5月にコーチ登録を抹消し、偉業達成に専念。183センチ、88キロ。左投げ左打ち。血液型B。