1988年(昭63)10月19日。川崎球場で行われたロッテとのダブルヘッダーで奇跡の大逆転優勝を目指して戦った近鉄の夢は最後の最後で阻まれた。あれから30年。選手、コーチ、関係者ら15人にあの壮絶な試合とはいったい何だったのかを聞いた。

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優勝のかかる大一番、第2試合の先発を任されたのはドラフト1位ルーキーで6勝をマークしていた高柳出己(54)だった。

高柳 すごくいい気持ちで試合に入っていけたことが最も印象に残っています。実は1試合目はロッカー室に閉じこめられていたんです。仰木さんから、緊張するから試合を見るなと言われて…。

◆第2試合 先発した高柳は2回、マドロックに先制ソロを許すがその後は無失点。吹石、真喜志の本塁打で2点リードした直後の7回裏、先頭岡部にソロを浴びる。続く古川に安打を許したところで降板した。

当日のゲームが始まるまでは不安で押しつぶされそうだった。9回打ち切りが条件だった第1試合は奇跡的な逆転勝利。ベンチもスタンドも熱度はピークに達していた。2試合目のプレーボールはそこからわずか23分後の午後6時44分。仰木の隔離作戦が功を奏したのだろうか。大役を任された新人は最高の気分で先発マウンドに上がった。

高柳 立ち上がりも上々でした。それまで打たれてなかったマドロックにインローの直球を運ばれたんですけど、緊張はまったくなかったと思います。2日前に小野(和義)、慎太郎(山崎)と3人で先乗り移動したときはみんな真っ青になりました。新幹線を降りて、電話で結果を聞いたら阪急戦は負け。ロッテとの残り3試合すべて勝たなければならない。その瞬間からだれも口を利かなくなってしまったんですけどね。

山崎は前日18日ナイターで先発。打線爆発で大勝したが、19日のダブルヘッダー第1試合で先発した小野は7回3失点。だれもが逃げ出したくなるようなゲームを7回途中、わずか1点とはいえリードした形でバトンを渡した。

高柳 プロに入って1年目でしたが、特異な経験だったと思います。あの日、優勝はできなかったけど、負けなかったから、引き分けで終わったからこそ今も語り継がれているのではないかと思うんですよね。

右肩痛と戦いながら、サイドスローにも挑戦。96年にロッテ移籍。そのシーズン限りで現役を終えた。引退後は実家のある埼玉で父が経営していた建築業を一時手伝ったが、先行き不透明な時代。大阪に戻り、自宅のある羽曳野市で接骨院を開業、同時に子供たちに野球を教えるスポーツアカデミーを開設した。

高柳 初めて通った道路沿いで、この物件に巡り会ったのです。運命ですかねえ。

接骨院開業に際し、自ら課した条件が野球教室の併設。野球との関わりは断ちたくなかったからだ。そこから今年、アメリカに巣立っていった少年がいる。日本の高校に進学せず、ロイヤルズとマイナー契約して話題を呼んだ結城海斗投手(16)だ。さらに大阪市大や大和高田クラブでも指導中。中学教師、タレントなど5人の子供たちもすくすく育っている。「プロ野球人生に悔いはありません」。野球とともにセカンドキャリアを着実に歩む高柳は力強く言い切った。(敬称略)

◆高柳出己(たかやなぎ・いずみ)1964年生まれ。埼玉県出身。春日部工、日本通運を経てドラフト1位で近鉄入団。96年ロッテ移籍し引退。通算29勝30敗。接骨院、スポーツアカデミーなど運営する「株式会社 高柳」代表取締役。