日本ハムは2018年で北海道移転15年。過去の名場面、珍場面を、当時の紙面とともに振り返ります。

<06年4月16日付>

長いプロ野球の歴史上でも、史上初の快挙だった。ソフトバンク戦の先発マウンドに上がったのは、この年の希望枠ルーキー八木。延長10回まで150球の熱投で無安打投球を続けると、2番手・武田久、3番手・マイケルがともに1イニングを無安打に抑え、3投手によるノーヒットノーランを成し遂げた。

八木は「(ノーヒットは)知っていたけれど、そんなことよりも1人1人の打者を確実に抑えることしか頭にはありませんでした」と言った。新人でノーヒットノーラン達成なら、87年の近藤(中日)、延長戦での達成なら73年の江夏(阪神)以来となっていた。「交代は迷った」。ヒルマン監督は試合後に明かしたが、のちに「HAMの方程式」(ヒサシ&マイケル)と呼ばれることになる盤石の救援陣が起用に応えた。

12回の決勝点は、1死一、三塁で併殺崩れの間に奪った1点。俊足を飛ばして一塁へ頭から飛び込み、併殺を阻止したのは、現在ソフトバンクにいる川島だった。川島もこの年が1年目。八木とは同い年の大卒コンビだった。

本拠地移転15年。日本ハムで無安打無得点試合を達成した投手は現れていない。このときの八木がもっとも近かったわけだが、ほかには09年に、多田野が9回2死まで無安打を続けたことがある。また継投での快挙達成といえば、八木、武田久、マイケルの記録から約1年半後、日本ハムは07年の中日との日本シリーズで、反対に山井、岩瀬の継投で完全試合を食らっている。