大腸がんから再起した阪神原口文仁捕手(27)が24日、西宮市内の球団事務所で会見を行い、これまでの闘病の経緯や詳細を公表した。昨オフに宣告された大腸がんが、ステージ3bだったことを告白。抗がん剤治療を受けながら感動的な復活を遂げた男は、来季目標にレギュラー取りを掲げ、感謝の完全復活を目指す。

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原口の目は希望に満ちあふれていた。笑顔で会見場に入ってくると「ゲームで万全にプレーができるような環境を作っていただいた。本当に感謝しかないです。そういうサポートしてくれた人々のおかげで1年間シーズンを戦い抜けた」。自ら球団に相談して開いた場で語ったのは、周囲の人々への感謝の言葉だった。

闘病の経緯も詳細に明らかにした。1月8日に人間ドックを受け、当日に大腸がんを宣告されたという。「すごく驚いた。頭が真っ白に」と当時を振り返る。同26日に手術を受け、その後の病理検査でステージが5段階中の2番目に重い「3b」と発覚。「命ってすごく限りあるなと思いました。この年齢(原口は27歳)でそういうものを感じました」。だが、負けなかった。半年以上も錠剤服用による抗がん剤治療を受け続けた。体質変化の副作用にも苦しむ日々を送った。

同じく病気で苦しむ人々を勇気づけるために、必死にバットを振り続けた。闘病中だった6月4日ロッテ戦では1軍復帰後初安打を放ち、同9日にはサヨナラ打も。偶然にも抗がん剤治療を終える7月9日は球宴のプラスワン選出日で二重の喜びとなった。その球宴でも2戦連発。幾多の感動劇を生み出してきた。「なかなか自分で打とうと思っても打てない。たくさんの方の思いが生んでくれているのではないかと思う。感謝の気持ちでいっぱいです」と、サポートと応援に感謝した。

もちろん、5年の経過観察が必要とされており、今後も半年に1度のペースで定期検診を受ける。戦い続ける男は言った。

「これだけの病気をしても現場に復帰してやれるんだよと。今そうやって闘っている人たちに、僕も、私もやれるんじゃないかな、と思ってもらえることが(この)発表の意味だと思う」。

2月春季キャンプにも支障ない状態で臨む。来季の目標は「レギュラーをとってたくさん活躍したい」。そう語った表情に、また笑みが浮かんでいた。【只松憲】

◆大腸がん 腺腫という良性のポリープががん化して発生するものと、正常な粘膜から直接発生するものがある。血便や、下痢と便秘の繰り返し、便が細い、便が残る感じ、おなかが張るなどの症状が出る。0期から4期まで5段階に分かれ、3期はリンパ節転移がある状態。手術後は、ウォーキングやストレッチなどの軽い運動から始め、1~3箇月程度で手術前の日常生活が送ることが目標とされる。(国立がん研究センターのサイトより)

◆原口文仁(はらぐち・ふみひと)1992年(平4)3月3日生まれ、埼玉県出身。帝京から09年ドラフト6位で阪神入団。腰痛などの影響で13年から育成契約となったが、故障を完治させて16年4月27日に支配下復帰し、1軍デビューした同日の巨人戦でプロ初安打。同年5月に育成経験野手史上初の月間MVPを受賞。昨季は代打で、08年桧山進次郎に並ぶ球団最多の23安打を放った。182センチ、92キロ。右投げ右打ち。

★阪神原口の闘病経緯と今季の主な活躍★

◆がん宣告 1月8日に人間ドックを受診した際、がんと宣告される。

◆手術 1月26日に入院し、その日に腹腔(ふくくう)鏡手術を受ける。数日後に病理検査の結果が出てステージ3bであったことが判明。

◆退院 2月2日に退院

◆抗がん剤治療 2月6日から7月9日まで行う。錠剤を4週間飲み、2週間休むサイクルを4度行ったという。

◆2軍合流 3月7日、2軍に合流。鳴尾浜の室内でトレーニングを始める。

◆1軍復帰即タイムリー 6月4日に1軍登録され、ロッテ戦9回に代打で登場し、適時二塁打。

◆240日ぶり1軍甲子園 6月7日日本ハム戦で、6回代打で登場。

◆ただいま!サヨナラ打 6月9日の日本ハム戦で同点の9回2死二、三塁で代打に。中前にサヨナラ打を放った。お立ち台で「ただいま!」と絶叫。

◆プラスワン選出 7月9日、球宴にプラスワン選出される。この日が抗がん剤服用の最終日だった。

◆球宴で本塁打 7月12日のオールスター第1戦で、9回2死一塁でコールされ、オリックス山本から左中間スタンドへ運んだ。

◆夢の2打席連続弾 7月13日の球宴第2戦で、「7番DH」で先発出場。2回の第1打席で、前夜に続き2試合にまたがっての2打席連続本塁打を放った。

◆リーグ特別賞 11月11日、プロ野球セ・パ理事会が行われ、不屈の闘志で大病を乗り越えた原口はリーグ特別賞に選出された。

◆100万円寄付 11月21日に神戸市内の小児がんなどの医療施設を訪問。大腸がんの啓発チャリティーグッズ「グッチブレス」の全利益64万円と原口自身の寄付を合わせた100万円を贈呈した。