沖縄キャンプ中の日本ハム関係者も11日、野村克也氏(84)の突然の訃報に驚き、悲しんだ。阪神との練習試合が行われた名護では、社会人シダックス時代に教えを受けた武田勝投手コーチ(41)が恩師の教えを次代に継承する覚悟を示した。

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武田投手コーチが、野村イズムの継承を誓った。「正直言って気持ちの整理ができていません。野村さんがいなければ、今の自分はいないと思います。将来、指導者になった時は一から十を教える指導者ではなくて、一を教えて九を気づかせる指導者になりなさいと常に言われていました。野村さんの考え、野球の指導法は、今度は私たちが若い子たちに伝えていく時代だと思っていますので、必ず継承して、次の時代につないでいこうと思います」。

野球人生の転機になった言葉を覚えている。02年オフに野村氏が社会人野球シダックスの監督兼GMに就任した時だった。「お前の武器は、なんだ?」。社会人2年目を終えたばかりの同コーチは、答えることができなかった。「プロで生きていくために、自分の体もそうですし、自分の能力も分かってバッターと対戦することができた。きっかけを作ってもらった言葉でした」。スピードではなく制球力で勝負するサウスポーとなれたのは、野村氏のひと言が起点だった。

06年に日本ハムに入団すると、野村氏も楽天の監督に就任。新人左腕は同年3月26日楽天戦(札幌ドーム)で中継ぎとしてプロ初勝利を挙げた。「初めての勝利が野村さんの前で挙げられたというのが、唯一の恩返しだと思っております」。偶然の巡り合わせは、今でも鮮明に記憶が残る。

1つだけ心残りがある。「非難されたこともなかったので、いつまでたっても僕は二流だったと思います」。野村氏には、人を育てるには一流は非難、二流は称賛、三流は無視という哲学があった。「無視はされなかったので三流ではなかったけど、非難されないでお会いできなくなるのはつらい。非難されて認められるというのが最後、できなかった」。始まったばかりの指導者人生を野村氏に天国から見守ってもらい、いつかは非難されるように一流を育てていく。【木下大輔】