台湾から「甲子園、加油(がんばれ)!」 台湾プロ野球の富邦(フーボン)ガーディアンズが、本拠地の新北市新荘棒球場に「甲子園歴史館」のロゴを無償で掲出した。甲子園で野球が開催されることを願うメッセージが込められたもの。すでに無観客でプロ野球を開幕している台湾から、温かいエールが届いた。

バックネット裏、中継の画面越しでは、球審の真上の目立つ場所に「甲子園歴史館」の6文字が輝いている。富邦が本拠地開幕した4月21日から掲出。甲子園歴史館の担当者には、中華職業棒球大連盟(CPBL)の担当者からこんなメッセージが届いたという。

「早く日本のコロナが落ち着いて、日本野球の聖地・甲子園球場で野球が開催されることを楽しみにしています」

甲子園球場とCPBL、そして台湾には野球が結んだ縁がある。14年に映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」が台湾で大ヒット。影響は長く続き、18年には台湾から、年間来場者の約1割にあたる約1万6000人が甲子園歴史館を訪れた。阪神は16年から主催試合で「台湾デー」を開催。18年には台湾観光局から「台湾観光貢献賞」が阪神電鉄に贈られた。今回ロゴを掲出した富邦はCPBLを通じ「台湾デー」にチアを派遣したり、主催試合で甲子園の記念グッズを配布するなど、甲子園球場と特別な交流があった。

甲子園歴史館の担当者は「先方のご厚意で、当館のロゴ掲出という形でメッセージをいただけたことは大変うれしく思います」と感謝。野球を通じた日台のつながりを今後も大切にしたいとし、「新型コロナウイルスが1日でも早く収束し、甲子園球場にみなさんの大好きな野球が戻って来ることを願っています」と結んだ。海の向こうでも、甲子園に野球が戻ることを願っている。【磯綾乃】

◆「KANO 1931 海の向こうの甲子園」 日本統治下の1931年(昭6)、台湾代表として全国高校野球選手権に出場し、準優勝した嘉義農林学校(かのう)野球部の快進撃を、実話をもとに映画化。永瀬正敏、坂井真紀、大沢たかおら、日本人俳優も主要キャストとして出演した。嘉義農林の弱小野球部に、日本人監督近藤兵太郎(永瀬)が着任。スパルタ式訓練で甲子園出場を目標に掲げ、部員たちも次第に勝利への思いを強く抱くストーリー。台湾公開は14年2月27日、日本公開は15年1月24日。第9回大阪アジアン映画祭観客賞など受賞。

◆富邦ガーディアンズ 93年俊国ベアーズとして発足。興農ベアーズ、興農ブルズ、義大ライノズと変遷し、金融業を中心とする富邦グループが買収して17年から現チーム。前後期制のリーグ優勝10回で、年間王者3回。興農時代の10年に高津臣吾(現ヤクルト監督)が40試合登板。義大時代は13年にはメジャー555本塁打のマニー・ラミレスが、元阪神の蕭一傑も14年から3年間プレーした。19年から元近鉄の古久保健二氏がコーチを務めている。