球児から球児へ。阪神藤川球児投手(39)が全国の高校球児にゲキ熱エールを送った。新型コロナウイルス感染拡大の影響で夏の甲子園の中止が発表された一夜明け、甲子園での練習後にオンライン取材に対応。「涙出るだけ泣いて」と傷心の球児に寄り添いながら、中止は「自分への試練」と表現。将来社会に出てからも多くの困難に打ち勝つ糧とし、心身を成長させて欲しいと願った。

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藤川は丁寧に言葉を選んだ。前日、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、戦後初めて夏の甲子園中止が決定。傷心の球児たちを思い、呼び掛けた。

藤川 悲痛とか、胸が痛いという気持ちはありました。(でも)世界的に見ても生きている限り、これから人生でたくさんの岐路はある。人生ってどんな状況からでも立ち上がって闘うというか、社会に出れば日々闘いが待ち受けている。誰かの責任にしてはいけない。たくさんのことが起こる中でどう立ち上がるか。

春のセンバツ中止に続き、コロナはまた高校球児の夢を壊した。高知商2年夏の甲子園に出場した藤川にも、悲しみは十分わかる。でも、現実を受け止め、前を向いてほしかった。これから先の人生で、たくさんの困難に打ち勝つために。

藤川 日本だけにとどまらず、世界各地で同じ思いの子どもたちがいる。自分たちだけではない。3年間培ってきた厳しい練習、プライベートを捨てて野球に取り組んできた。その気持ちを忘れないように、さらに気持ちを強くしていく。自分への試練ですよ。

最後の夏だった3年生は青春を奪われ、すぐ切り替えられるほど簡単ではない。だが藤川自身もプロ入り後、何度も困難に直面し、何度も自分ではい上がってきた。熱い呼び掛けは続いた。

藤川 涙出るだけ泣いて、うちひしがれることになるでしょう。(でも)これからどうしようということは必ず訪れる。今はたとえ泣いていても、涙を流していても、学校生活が取り戻されてきた時に胸を張って、模範となるような生徒たちであることを願います。

藤川自身、タイガースの一員として、球児の聖地甲子園で野球ができる重みもあらためて感じている。

藤川 自分自身はもともとそういう気持ちでやってました。その部分の意識の高さは、阪神タイガースでプレーする選手に限っては持っておかなければいけないと思います。ここにいる選手は、他球団の選手たちとはまた違う意味でこの球場を大事に、大切に扱わなければいけない。

球児から球児へ。野球の力で、未来へ歩む勇気を与えていく。【只松憲】

〇…藤川は最短6月19日の開幕へ体調万全をアピールした。「いつでも試合にいける準備は十分できている。それは仕事としてやっているので当然のこと」。19日の練習で矢野監督をはじめ、コーチ陣と約2カ月ぶりに対面。充実の仕上がりで安心させた。「スタッフの方たちが心配しないように、選手たち個々がプロとしての自覚を持って、自分で仕上げてくるのがプロの本質なので」。チームの柱としての自覚をにじませた。

名球会入りの条件となる、日米通算250セーブまではあと「7」。「それで(高校球児たちに)勇気が出るのかどうか分からないけど、そう感じてもらえるのならば、これ以上うれしいことはない。テレビ越しでも感動を覚えてもらえるかどうかは自分のプレーにすべてかかっています。本当に、真剣に100%で今まで通りプレーする必要があります」と引き締めた。

◆藤川の甲子園出場 高知商2年の97年夏、兄の順一(3年)とバッテリーで出場を果たした。1回戦の旭川大高(北北海道)戦に5番右翼で先発し、4回からマウンドへ。6イニング無失点、打っては2安打2打点の活躍で6-3の勝利に導いた。2回戦では平安(現龍谷大平安)と対決し、川口知哉(後にオリックス)と投げ合った。1回に自らバント処理を焦り、適時打や重盗などで4失点。5回にも1点を失った。8回まで10奪三振の力投だったが、0-5で敗れた。

<藤川プロ入り後の苦闘>

◆飯を食え 99年ドラフト1位で入団も野村監督から、73キロと細身の体を見とがめられ「ちゃんと飯を食ってるのか」と厳しく注意された。

◆解雇危機 1軍登板17試合の03年オフ、戦力外候補リストに名前が挙がった。だが、岡田新監督は2軍監督時代に知る藤川の力量から「短いイニングで力を発揮するタイプ」と球団に呼び掛け、逆転残留。05年Vに貢献するなど不動の守護神に成長していった。

◆手術 メジャー1年目の13年カブス時代、右肘の内側側副靱帯(じんたい)を断裂して手術。メジャー3年間の通算は29試合、1勝1敗2セーブに終わった。

◆独立リーグ レンジャーズを自由契約になった15年、6月に故郷の四国IL・高知に入団。阪神で黄金時代を築いた元守護神が無報酬で出直し、先発で完封するなどNPB復帰をアピールした。

◆先発転向も 阪神に復帰した16年は金本新監督が先発を期待。だが5試合で1勝2敗、防御率6・12と結果が出ず、再び救援へ配置転換。だが17年から3年連続50試合登板と復肩し、昨季は守護神を務めた。