巨人原辰徳監督(62)が9日の中日戦(ナゴヤドーム)に勝ち、13年に死去した川上哲治監督と並ぶ監督通算1066勝目をつかんだ。 ヘッドコーチだった01年秋に、長嶋監督の後任として監督就任。「V9」を達成した大先輩が持っていた監督通算勝利数の球団最多記録に並んだ。

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川上野球と原野球の共通点は「自由度の高さ」にあるという。川上監督といえば「管理野球」のイメージが強い。しかし、長男・貴光(よしてる)さん(74)の見方は違う。

貴光さん 父は「川上野球」と1つのイメージで言われるのはうれしくない、と言っていました。勝つために私心を挟まず、ベストの選択をする。チームの力が弱い時には、5点6点リードしていてもバントしてもう1点を取りにいく。強い時は何もしなくていい。状況に応じて自分を、チームを変えていったのが川上の野球なんです。

川上氏は監督就任からチームプレーを説き、実践させた。現役時代の個人主義から急変したと批判されたが、当時の戦力で勝つためには束になって点を取り、失点を防ぐ必要があった。V9時代には「優勝したことにこだわる事が一番のマイナス」と言い、成功や先例にとらわれず、先乗りスコアラーをつくり、栄養学を採り入れるなど、常に新しいことに挑戦した。

貴光さん 先日、原監督は野手を登板させました。連戦の多い今季の特殊性を考え、以前から準備していたのでしょう。優勝するためにベストの策と思うなら、批判もみてくれも関係ない。川上と同じです。だから自由度が高いんです。

もう1つのキーワードが「情」だ。原監督の巨人入団時の監督であり、恩師である藤田元司氏(故人)は情に厚かった。川上氏は藤田氏の師であり、原監督は孫弟子にあたる。

貴光さん 父は原監督の「ジャイアンツ愛」という言葉を聞いて、『愛なんて甘っちょろい』と言っていましたが、表現の仕方が違うだけです。選手の特徴や持ち味をつかみ、適材適所でその人を生かす。父は控え選手でもベンチを盛り上げてくれればプラスの査定をしたそうです。そういう姿を見てきた藤田さんから、原監督が教わってきたのではないでしょうか。

全員が背番号16をつけて戦った1日、貴光さんは原監督を表敬訪問した。原監督は「川上さんが最初の(投打)二刀流でした」などと、川上氏の業績をスラスラ挙げたという。

貴光さん 私と会うので勉強してくださっていた。うれしかった。父が生きていたら、(勝ち星で並ばれたことに)『あっぱれ』と言ったでしょうね。【取材・構成=沢田啓太郎】

◆巨人川上監督の1066勝目 1974年(昭49)10月14日、中日とのダブルヘッダー2試合目(後楽園)に10-0で勝利した。「長嶋君の最後の試合に参加しようとして出た」と8回の攻撃では一塁コーチスボックスに立った