その日、北條史也に与えられたアピールタイムは夕刻の1イニングだけだった。5月22日のウエスタン・リーグ中日戦。1点を追う9回表から三塁を守り、打席に立つことはなかった。

やむを得ない事情があった。21日からの敵地広島3連戦が新型コロナウイルス感染拡大防止のため急きょ中止に。この影響で1軍スタメン野手が大挙して鳴尾浜を訪れていた。一方の北條は左足首負傷から実戦復帰したばかり。出番が限られるのは致し方なかった。

たった1イニング。それでも故障明けの26歳は1球1球、効果的に声を張っていた。小林慶祐が2死満塁から粘る間は「ナイスボール!」「頑張って!」と背中を押す。かと思えば外野手、二遊間に身ぶり手ぶりで指示を飛ばし、あらゆる状況の想定を共有…。前向きで冷静な姿を目で追いながら、藤本敦士内野守備走塁コーチの言葉をふと思い出した。

「北條の声は本当に戦力になる。すごく勇気づけられる。ビハインドの場面、どうしてもネガティブな方向に行きがちなところを引き留めてくれる声が、本当にありがたいんです」

この日の3日前、首位快走中の虎はショックな事実を突きつけられていた。糸原健斗が下肢のコンディション不良で出場選手登録を抹消されたのだ。

開幕ダッシュを支えた不動の2番打者。その臨機応変な打力もさることながら、昨季まで2年連続で主将を任されたリーダーシップにも定評がある。「試合に出ていても、出ていなくても、すごい声を出してチームを引っ張ってくれていた」。矢野燿大監督がそう表現するほどの存在が一時離脱を余儀なくされた。そんな状況だからこそ、北條の声が余計に耳を刺激した。

人気者の背番号26は、藤本コーチが糸原とともにその「声の力」を認める選手の1人でもある。

「彼らはタイミング良く声を出してくれる。声にも必要な声と無駄な声がある。なんでもかんでもワーワー言っているだけじゃなくてね。この場面はこういうのあるぞ、準備しとけよ、と。野球に関してすごく必要な声を、若い選手が聞き耳を立てている部分もあるんです」

北條が左足首を痛めて出場選手登録を抹消されたのは4月24日のこと。その日の井上一樹ヘッドコーチの嘆きも脳裏によみがえる。「あいつはどうしてもベンチに置いておきたい選手。ムードメーカーでもあり、率先して声を出してくれる。いないのはちょっと寂しい」。

好調阪神の1軍野手枠はサブメンバーも含めて熾烈(しれつ)を極める。もちろん、北條もまずは2軍で実戦勘を取り戻す、結果を出す作業が先決になる。それでも首脳陣の言葉の数々を思い返すとイメージできる。その「鼓舞力」が必要とされるタイミングは、そう遠くない気がする。【佐井陽介】